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2004年7月2日(金)
29日の夜、帰宅。今回の旅先でのさまざまな出会いについて書きたいと思い、現に書き始めているのだが、まとまって書く時間がないため、まだ詳しく今回の旅先での驚きの出会いについて書くことが出来ない。というのも、帰宅してみると様々な依頼やら、やりかけの仕事が貯まりに貯まってきていて、しかも雑誌のインタビューなど待ったなしの仕事が入ってくる。インタビューは昨日連続して2件、1時間の時間差は一応つけてあったのだが、私の用件が次々に入ってくるので、前半の方と後半の方とまとめた合同インタビューとなってしまった。
現在、私が8月か9月頃、何か企画に乗るような返答を受け取られた方は、あらためて私に確認を取って頂きたい。 以上1日分/掲載日 平成16年7月3日(土) |
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2004年7月4日(日)
7月3日4日と仙台で稽古。今回は、抜刀術から体術への展開に、いくつか見るべきものがあったが、これも先日6月24日から29日にかけて、関西・四国・中国地方での講座や出会いが少なからず影響を与えているように思う。
予想以上の事もいくつかあったが、そのなかでも武術の技に関する事では、伊丹在住のT氏の手裏剣術の打法が、私の想像を越えるものであった事は大きな収穫だった。このT氏は、10年以上も前から、私の関西の稽古会に時々出て来られた方で、私よりひとまわり以上年長の方で、あと数年で古希を迎えられようという年齢ながら、お若い頃から空手や拳法の鍛錬に日を送られたようで、多くを語られなかったが、その眼光や物腰には只ならぬ修練の後がにじみ出ていた。
あいにく、当日は雨で、T氏が普段稽古に使われている青天井の駐車場では打てないため、写真撮影用のマンションで実技を見せて頂いたのだが、はじめは3間あるかなしの距離であるため、飛行軌跡がよく分からず、T氏が創出されたという滑空打法は今ひとつ分からなかった。
このような事実を我が身で体験すると、つくづく専門家の陥りやすい常識の落とし穴、別の言葉でいえば専門家の奢りということを考えさせられた。なにしろT氏が、この滑空打法の創出に取り組んだのは、かつて私が「時代劇などで飛んできた手裏剣を躱したら、2間ほど後の塀や立木に突き刺さるなどという事は在り得ない。もし、そこに刺さるのなら、体を躱した時は、まだ剣先が先端を向いていない時だから」と話した事を聞いたのがキッカケで、「本当にそうだろうか。剣を矢のように飛ばすことは出来ないのだろうか」と疑問に思われ、そのことを身をもって解明すべく齢60歳で発奮。それまで修練されてきた空手や拳法の動きを工夫し、特に指先を伸ばして突く貫手の動きを応用し、何年かかけて遂にこの滑空打法を創出されたという事を、その時伺ったからである。 以上1日分/掲載日 平成16年7月5日(月) |
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2004年7月7日(水)
7月6日の、このホームページのアクセス数は1日で遂に空前の4136.今更のように『徹子の部屋』の影響力の大きさを知る。お陰で、いろいろな方から感想のお電話やFAX、又ホームページの管理人へのメールなども頂いたが、私が番組の最後に述べた、現在の少年少女のスポーツ指導者の酷さについては、深い共感を示して下さる方が何人もいらした。
それにしても、昨日、今日のわずか2日間で、文庫化の本の制作段階での確認が2本、単行本の制作中の連絡が3本、新聞雑誌のインタビューの確認が3本、講演・講座の確認が数本が、電話、FAX、郵便で続々届く。話を聞き、目を通せば、「ああ、こんな依頼もあったな」とは思うが、とても全てに応じきれる状態ではない。 以上1日分/掲載日 平成16年7月7日(水) |
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2004年7月13日(火)
7日は、さいたま芸術劇場へ、ピナ・バウシュとブッパタール舞踏団の日本公演、それも"日本"を取材してつくられたという新作『天地』を観に行く。この新作に関しては、昨年11月、私も招かれて行なったワークショップの動きも取り入れられているとの事。 それにしても『徹子の部屋』の影響力は恐ろしい。この日、さいたまへの往復の道で、「昨日、『徹子の部屋』を観て、本を2冊買いました」という人を含め、3人の見知らぬ人に声をかけられた。 8日は、ネコ・パブリッシングから刊行される本に関しての取材を受ける。中国武術にも思い入れが深く、中国での散打大会で活躍されたO氏との対談をメインに実技を交えながら話しているうち、O氏の誠実な人柄に感応して話は4時間に及んでいた。 その後、40分ほどの間を置いて、晶文社の安藤氏来館。ずっと止まっていた神戸女学院大学の内田樹先生との対論本の原稿書き。S女史にある程度まとめてもらったものに大量の加筆。編集者を目の前にして原稿を書くという経験は少なからずあったが、約4時間ぶっ続けでという例はちょっと思い出さない。しかし、それが出来たのも、安藤氏の編集者としての御人柄と力量のお蔭だと思う。こうした編集の方に、わざわざ時間をとって頂くと、「やらなければ」という気になってくる。やはり人間のやる仕事は、その事に関わる人の熱意やセンス、志によって大きく左右されるものなのだという事が実感された。
9日は、家の近くの、かつて長男が世話になった小学校からの依頼で、武術の動きと、その応用について6年生を対象に講座。時間が1時間程度で、体育館内は35℃くらいの暑さだったから、大した事も出来なかったが、それなりの関心は持ってもらったようだ。
11日は、千代田での会だったが、その前に浅草の宮本スタジオで、和太鼓の打ち方について、打楽器奏者で広く活躍されている仙堂新太郎先生からのお話しのあったミニ講座に臨む。和太鼓は、その昔、祭りの折に2,3回打ったことはあったが、どうしたらより良い打ち方が出来るのかを真剣に問われて、その問いに答えるべく太鼓に向かうのは全く初めての経験だった。
その後、千代田区総合体育館での術理解説の講習会へ。今回も多くの方々が来られていて、いろいろな質問を受けて体を動かしたが、私自身一番印象に残ったのは、ある施設の職員の方から出た質問に答えた時だった。その質問とは、知的障害者を連れて散歩中、何らかのキッカケで、その障害者が道に横たわり、起こそうとする手をはねのけて、その場を動こうとしない場合、「何とか無理やりという感じがなく、その場から連れ帰ることは出来ないでしょうか?」というもの。その話を聞いているうち、フト思い浮かんだ事があったので、直ぐに試みてみた。それは、横たわっているその障害者役の方が、私の手をはねのけようとした時、その横たわっている人を越えるような形で前受身をとって(ちょうど柔術の横落としをかけられて投げられた形となり)、そのまま相手を巴状になって絡んで相手を浮かし、その一連の動きの中で相手を立たせて連れ去るというものである。それが想像以上にうまくいったので、観ていた人からどよめきと拍手を浴びた。
それにしても、やる事の多いのには、もう半ば以上頭が麻痺してきている。一昨夜もまだ先と思っていた文庫本のまえがきの期限が2日しかないと聞かされ、とにかくそれをやるしかないのだが、その前にやらねばならない事が多く、実際これを書き始めたのは、今日の午後2時過ぎからだった。約2時間で書き上げたが、この他に、かなり切迫した予定で私の意識に上ってきていないものが7つか8つはありそうである。ここしばらくダブルブッキングがないのが奇跡に思える。 以上1日分/掲載日 平成16年7月13日(火) |
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2004年7月15日(木)
昨日14日は、朝8時すぎに家を出て、水天宮駅に直結しているロイヤル・パーク・ホテルでインタビューを受けた後、かねてから懸案の用件やら急ぎの宝島社の文庫本の校正やらで都内を転々と何ヶ所か回り、深夜に帰宅。
そんな状態でも、今日も防大バスケットボール部の入江監督が来られたので、少しだけ稽古はする。お蔭で足裏の垂直離陸と抜刀術が今までよりも具体的に結びついた。また、打剣の方は辻本氏の滑空打法を参考にした新打法がいろいろと気づかせてくれる。 そういえば、私の事が出ている本や雑誌がいくつか出たようだ。1つは清流出版の『生の科学・死の哲学』(養老孟司対談集)、もう1つは『文藝春秋』8月号(ケッサクな写真つき)です。 以上1日分/掲載日 平成16年7月16日(金) |
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2004年7月16日(金)
昨夜というか本日の夜明け前というべきか、午前2時すぎ、大阪の精神科医の名越康文氏から電話。この日、毎週土曜の夜フジテレビ系で放映中のテレビ番組『グータン』の撮りで、青木さやか、辺見えみり両女史とのカウンセリングがあったようだが、今までで最も深い展開となったようだ。つまり、テレビで公開する以上、普通はある種のお約束的展開(登場する人もギャラが出て出演するのだから、自分から診察代を払う現実のカウンセリングとはどうしても違ってくる)となるのは避けがたいものだが、それが実際に問題を抱えて来た人に対する、つまり本物のカウンセリングモードに入りかけたようだ。これは凄いことである。どれほどの名優が演じていても、ドラマでは実際のニュースなどに見られるナマな場面は演じきれない。特に微妙な気まずさなどの感情の変化を表情に出す事は至難中の至難である。 以上1日分/掲載日 平成16年7月17日(土) |
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2004年7月20日(火)
かなりつめて、この随感録を書いていたつもりだったが、忽ちのうちに3,4日は経ってしまう。この間にもいろいろな事はあった。昨日はTBSラジオBS1『元気e!』の収録に赤坂のTBSへ。(8月14日放送予定)ここで、いろいろな質問に答えているうちに、2日前の17日、二子玉川の身体教育研究所で野口裕之先生から頂いた『教育哲学研究』誌第89号に載っていた野口先生の論考「生きること死ぬこと−日本の自壊」が思い出されてきた。
生きること死ぬこと−日本の自壊(抄)
一 薄気味悪い笑い
喩えようもない<薄気味悪さ>に、日本の近代知は到達した。薄気味悪いものに直面しているという意味ではない。歳月をかけて磨かれていった近代知が、その暁に露呈したものは得体の知れぬ<薄気味悪さ>であったというのである。 (中略) 五 死の風景
一つの文化を端的に象徴するものとして、誕生と死の風景がある。 (引用終)
いまの時代、ここまでものが見えるという事は、どれほどの苦痛が伴うであろうか。 私も7年前、『もののけ姫』を観て、人間がやってきた事に何の意味があったのかと、立ち上がる気力も失せる日が続いたが、野口先生のように、具体的に時代の愚行が目に映じ心に写ってくる苦しさは、さらに厳しいものがあるように思う。 普通、初代が傑出し、二代目はそれを広く一般化するか、穏やかに分かりやすく解説するものだが、野口家のように、大天才を謳われた晴哉先生の後、一般化とはおよそ違った、深く日本の病巣を抉り取るように指摘し続けている天才野口裕之を生み出すという例外もあるのだという事は今まで何度も感じてきたが、この夜久しぶりに又痛感させられた。 しかし、現代のように加害者と被害者がもはや分離不可能なほどの同化し、止めるに止まらぬ時代の波が我々の足元をおびやかしている時、いったい私個人に何が出来るかと、今まで何千回も繰り返してきた思いにまたふけってしまう。 そうした時、それが逃げなのか救いなのか分からないが、私にとって追求を諦められない武術の技があるという事は、本当にありがたい事なのかもしれない。 以上1日分/掲載日 平成16年7月20日(火) |
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2004年7月26日(月)
24日から講習会で家を出ている。25日は、午前中は名古屋、午後は岡山という、今までにはない強行スケジュールだったが、強い関心を持って下さる方々と接して技を説明していていると疲れも取れる。具体的に、いくつか技の上でも新しい気づきがあった。名古屋では山口氏、栢野氏、岡山では光岡師、守氏、野上氏はじめ何人もの方々にお世話になった。あらためてここで御礼を申し上げたい。 以上1日分/掲載日 平成16年7月27日(火) |
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2004年7月27日(火)
今回の旅は24日に家を出て27日に帰ったから、決して長いとはいえないものだったが、その旅の初日の24日がとても同じ旅のはじめとは思えないほど遠くに感じられたことは、ちょっと前例がないほどである。
それにしても私の対応する間口の拡がりようは、私自身も呆れるほどだ。まあ武術稽古研究会を解散し、「武術を基盤とした身体技法の実践研究者」として活動しているのだから、当然といえば当然かも知れないが、自分自身でもこれからどこへ行くのか、まるで見当がつかない。 辻本家を辞去し3日ぶりに帰宅してみると、いくつもの依頼がFAX等で届いていたが、その中の1件で27年間も続いているというNHK FMラジオの『日曜喫茶室』の対談ゲストが、今まで私が全く会ったことのないタイプの方だったので、受ける方向で今考えている。やらねばならない事は数限りなくあるが、今は私自身の容量を変える試みをしていかないと、この先もちそうもないように思われるので…。 以上1日分/掲載日 平成16年7月28日(水) |
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2004年7月29日(木)
昨日28日、身体教育研究所のS氏から電話。身体教育研究所が所属する社団法人 整体協会の野口昭子会長が27日に逝去されたとの事。整体協会の創設者、野口晴哉夫人であり、私が深く敬愛している野口裕之先生の母堂。近衛文麿総理大臣の長女という、まるで小説の中のヒロインのような人生を送られた方である。 以上1日分/掲載日 平成16年7月30日(金) |
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