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2004年12月1日(水)
とにかく家に居ると、何十羽もいる雛鳥が大口を開けて餌をねだるように、そこかしこに、やらねばならないやりかけの仕事、すなわち原稿やら校正やら問い合わせへの返事、それに手入れや修理しなければならない道具類やらが目に入ってきて、全く体が八つ裂きにされそうだ。 以上1日分/掲載日 平成16年12月1日(水) |
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2004年12月7日(火)
本の刊行に向けての写真選びや送付、また原稿書き、週末の弘前での会のための荷物づくり等々、差し迫った用件もいろいろあるが、ここ最近の技と術理の気づきは止めどもなく、その上いろいろな出会いもあり、ある程度でも書いて整理しておかないと、私自身混乱しそうなので、無理やりにでも時間をとって、これを書いている。
3日は蔵前での会。この会では最新の三次元展開の技の解説を試みつつ、参加者の方々に体験していただく。ここで何人かに最新の、いわば守りの堅い城の本丸を直に衝く小手返を試みる。小手返は通常体の中心から遠い手首を攻める技だが、この手首を固め、場合によってはもう一方の手も添えて、両腕で三角形をつくっているところを攻めるもの。今までは多少なりとも相手を引き出して浮かせたりしていたが、今回の三次元展開の動きでは、最も守りの堅いところを最も端的に攻める。
そして4日は桜美林大学で開かれた人体科学会での講演に行く。これは新体道の青木宏之先生からのお話があったもの。講演では青木先生ご自身が、私の司会役を務めて下さり、本当にお世話になってしまった。ここで、あらためて深く御礼を申し上げたい。会場は多くの医学、体育関係の、主として大学の関係者の方々が多かったが、私が予想していたよりも遥かに関心を持って下さる方が多く、私の講演後も会場の裏手にあったロビーのようなところで、多くの方々の質問を受けたり実演したりで、結局、実質4時間ほど講演していたことになる。なかでも驚かれたのは、椅子に坐っている人をその姿勢のまま抱き取る介護の技の「浮き取り」など。この技は何十人の人にやったか分からないほどやった。この技に関しては、青木先生に同行されていた新体道協会の理事長で、青木先生の長男に当られる青木太郎氏が、いろいろとボランティア的な活動もされているからか、強い関心があったようなので、詳しく体の使い方を解説したところ、さすがに新体道で体の感覚を練られた方だけに、数分でコツを掴まれたようで、モデルの女性を股関節から大腿部を上げることなく、殆ど腰掛けた状態のまま抱き上げられた。 以上1日分/掲載日 平成16年12月7日(火) |
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2004年12月10日(金)
自分の今いる立ち位置を確かめないとどうしようもない。昨日なども移動中の電車の中で、いま自分が何処に行こうとしているのかを何度も忘れそうになる。もっとも、それは、まず最初に行った角川書店で、テープ録りの最中に気分が悪くなったからもあるだろう。寝不足で体調不振の上、10日に池袋へ行ったら、その後家に戻らず、旅館に泊まって、朝早い新幹線で弘前へ向かう予定なので、池袋に出るまでに、どうしてもやらねばならない何件かの用事を済ませねばと、それが気になっているからだろう。寝ても眠りが浅い。 以上1日分/掲載日 平成16年12月11日(土) |
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2004年12月11日(土)
12年前、初めて仙台を訪れた時、遠野にも行ったのだが、それ以来仙台へは70回近く行きながら、それより先へは行ったことがなかった。それが、今回弘前を訪れることになって、12年ぶりに仙台より先へ行く。そして、雪化粧した岩手山を左に見る盛岡を越えれば、北海道へ行った時に上空は通ったかもしれないが、陸路は初めての青森県へ。 掲載日 平成16年12月13日(月) |
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2004年12月12日(日)
11日から2日間にわたる講習も忽ち終って、今は弘前駅前のホテルでこれを書いている。弘前まで来て、いくつか初めて見る光景に接したし、最後に以前から望んでいたが、中々その機会に恵まれなかった、実に貴重な体験もした。初めて見たのは、会場の武道館のエレベーター。靴を脱いだ状態で乗るエレベーターに乗ったのは生まれて初めて。日本ならあってもいいエレベーターだが、私には初めてだった。それから第1日目の打ち上げで行った郷土料理店で、ナマで目の前で津軽三味線の演奏が聞けたこと。この音色は体の中にある情念に火をつけるものがある。親切に店のマスターに三味線を持たせて頂き、初めて三味線で音を出してみた。 以上1日分/掲載日 平成16年12月13日(月) |
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2004年12月16日(木)
時間がなくて、忙しいという表現も、もう出し尽くしたと思っていたが、弘前から帰って、この2日間の忙しさは何と言ったらいいのだろう。電車に乗っていて、原稿の校正か何かをしていて、フト気がつくと降車駅。急いで原稿や赤ペンをバッグに仕舞い、網棚の荷物を下ろして、座席や網棚を見直して忘れ物、落し物がないかを確認してホームへ降りる、といった状況に朝から晩までさらされている感じなのだ。その為、弘前にまで宛名書きを持っていった急ぎの手紙すら未だ書けていない。 さて、次は『アエラ』誌の件である。今回の「現代の肖像」は、私にとっての畏友の中でも最も親しい精神科医の名越康文氏で、ライターは、現代の社会問題について書けば恐らく日本で何本かの指に入ると思われる藤井誠二氏。私も確か8月に藤井氏の取材を受け、その時の私のコメントが今回も文中に紹介されていた。ただ、そこで 甲野が11歳も年長なのだが、名実共に一番の親友だと言って憚らない。甲野は大阪市内にある名越のマンションの鍵を持っており、名越が留守でも泊まるほどの仲である。感動した映画があったり、おもしろい人物に会うとその日のうちに長電話で報告しあう。「名越さんが異性でなくて良かったですよ」と、聞く方が赤面してしまうような台詞を甲野に言わせてしまうほどの「関係」なのである。 と、私と名越氏との間柄について書いてある。
ここは何の予備知識もない読者が、このくだりを読んだ時、どういう想像を働かせるかは実に微妙である。私としては、名越氏が異性でなくて良かったというのは、「人と人とが大変親しくなった時、それが異性間だといつの間にか恋愛感情が生まれたり、それに似た状況に陥りやすいので、関係が微妙に揺らいだり嫉妬が生まれたりと、どうしてもややこしい事になりやすいのだが、同性間はそうした感情が生まれにくいので、関係が長期に渡って安定化するので有難い」という事を言おうとしたのだが、藤井氏はそうした塩味程度の味付けを、同じ辛さでも唐辛子に置き換えて刺激的な演出を故意にしたのかもしれない。 カウンセリングの基本は、カウンセリングを受けたいという切羽詰ったクライアント側の意思が前提となる。しかし番組にやってくるタレントにそういう思いはない。あったとしても、それを赤裸々に言うことはできないし、名越が口に出して指摘することはタブーである。それでも手を抜くことはできない。5時間に及ぶビデオを目を皿のようにして観察し、視聴者に飽きられないよう同じような分析も避ける。名越の精神的・肉体的消耗はピークに達しつつあった。「グータン」の試みは大方成功したと名越は評価しているが、「望まれないカウンセリング」の限界はとうに過ぎた。 という終り方は、本当に藤井氏の才能を強く感じさせられた。
さて、今日は夕方から市ヶ谷の旅館で仮立舎の本の後半のための対談。そして泊まって、いくつもの本の校正やら素読みやらをやって、泊まり明けの夕方には、ちょっとした集まりへ出る。そして、明後日は朝から迎えの車で長野へ。その長野への旅支度をしている時間がドンドン無くなっているが、まあ何とも致し方ない。 掲載日 平成16年12月16日(木) |
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2004年12月22日(水)
長野から帰って2日間、来客もなく出かけもせずに過ごしたが、今日はこれから蔵前での会。 掲載日 平成16年12月22日(水) |
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2004年12月26日(日)
今日24日は茨城県の高体連の役員の方々や、NHKの福祉ネットのディレクターであるK氏、そして久しぶりに桐朋の長谷川、古谷の両先生にT氏などが来られ、いろいろ体験して頂いたが、高体連の役員の方々は、サッカーやバスケットボールのディフェンスの動きを、何回やっても私が押し合いになる前に抜いてしまう動きには実に不思議そうにされていた。 掲載日 平成16年12月24日(金) |
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