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2006年4月10日(月)
松聲館道場を建てて、この秋で満28年。この間、何度か自らの稽古の在り様について深く考えさせられたが、ちょっと今までに経験した事のない大きな波が来ている。 「単一的なもの、具体的なものはすべて間違いである」 「『あっ、この感覚だ』と、その良いと思った感覚を再現しようとしたら、それも間違いだ」 「普段やりなれない動きには、まだ自然な動きが残っているから、比較的いい動きをする人が多い」 「自然に伸びやかに」
義務的、強制的なものは皆無。量質転化などとは程遠い、共感し、唸らされる説明ばかりの荘子的世界がそこに展開されている。ここまで見事に呈示されると、いったい自分がどこに今いて、これからどうしようとしているのかも分からなくなってくる。 以上1日分/掲載日 平成18年4月10日(月) |
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2006年4月15日(土)
大本教祖、出口直が没した通夜の席で、役員の1人田中善臣が教祖直の思い出話をするシーンが『大地の母』十二巻目の終わりに出てくる。
「ある時、ある人が、としておこう。教祖さまのお傍へ来られて言いなはった。『わたしは、このご神苑の掃除番でもしたいのです』『それは結構なおぼしめしじゃ』と教祖さまは答えなはった。その人が帰った後で、教祖さまは悲しげに洩らされた。『なんというもったいないことを言う人であろう。なかなか見抜いた人でなければ箒一本もたすことの出来ぬ尊い所であるのに…それでも、そんなことを言っていては、誰も寄ってはこんでのう・・・・・』あてはこのお言葉を思い出す度に、自分のことを言われているようで・・・・」
大本開祖、出口直刀自の純粋さには、以前から強く惹かれ、畏敬の念を持っていたが、とてもではないが付いていけないものを感じていた。しかし、最近ホンの僅かだが、この大本開祖の気持ちが身近に感じられるようになってきた。
何トシテモ敵ノ色表裏ニ付心不止(止マザル)ハ実ノナキ故ソ(ゾ) 我心ニ正直ヲ不立(立テズ)表裏ノ念我ニ有(ル)ニヨリ敵ノ表裏ニモ付也
と書き出している。 以上1日分/掲載日 平成18年4月16日(日) |
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2006年4月20日(木)
「いい動きの感覚というものを覚えて、それを再現しようとしてはいけない」という韓氏意拳の韓競辰先生の教えについて、畏友の精神科医、名越康文氏に話したところ、「あっ、それって恋愛と同じですね」という名答が返ってきた。 以上1日分/掲載日 平成18年4月20日(木) |
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2006年4月23日(日)
20日の深夜、というより21日の夜明け前、私は十数年来の知り合いであるH氏と電話で話していた時、ぼやけていたレンズの焦点が合ってくるような感覚と共に、私自身いまだかつて経験したことのない精神状態にいる事に気がついた。それは、「別にどうでもいいさ」というこだわりの無さと、一心不乱に集中して物事を追求していこうという精神状況が同時に存在しているという、実に奇妙な状態なのである。その状態のまま、翌21日の松代での講座に臨んだが、そこでは武術の技も、体術なら手はただ出るだけ、相手の状況を認め、そこを何とかしようとして相手を崩そうとするのではなく、ただ自然と出しやすいように出す。手も背も腰も太腿、脚足すべてが、ただ「別にどうってことないよ」と、ただ出す。だからといって、それはイチかバチかの賭博的状態ではなく、緻密といえば大変緻密な動きに支えられているような気もするのだが、それがどう緻密なのかを探ろうとすれば、"それ"が消えてしまうことを感じるのか、私の感覚が探ることを拒否しているらしく、一体どうなっているのか私自身にもよく分からない。 以上1日分/掲載日 平成18年4月24日(月) |
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2006年4月25日(火)
「別にどうということはないさ」という、「こだわりの無さと集中力の共存」という不思議な状態に、ちょっと肩の荷を下ろしたと思ったのも僅か二日間ばかり。昨日からどうしようもない、何か居ても立ってもいられない焦燥感のようなものが体を包みはじめている。 以上1日分/掲載日 平成18年4月26日(水) |
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