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2006年3月3日(金)

 2月の24日から26日にかけての福山、四国の講座、稽古会は、世話人の方々に今回も手厚くして頂いて無事終えることができた。あらためて、お世話をかけた方々に御礼を申し上げたい。
 この旅が終った私はといえば、尻に火がついている本の校正があり、27日の帰りの新幹線の車中から本格的に校正を始め、3月1日は『通販生活』の取材等もあったが、とにかく注ぎ込める限りの時間を注ぎ込んで、何とかまずバジリコで刊行予定の内田樹先生との共著の校正にようやく目途がついたので、今これを書いている。
 しかし、ちょうどこの寸暇も惜しい時に、数年前から懸案になっていた庭のクヌギの木の「枝降しをしましょう」と、懇意の大工の高田氏から連絡があり、今はとても時間がないので取り敢えず様子を見にだけ来てもらったが、実際に現場を見て、高田氏は想像以上に状況が困難なことを納得しつつも(このクヌギは幹が一抱えほどあり、隣家の屋根の上にまで十数メートルも枝を伸ばしているかなりの大木で、伐った枝の下ろし方が大変難しい)、「芽が吹くと重くなるので早くに伐った方がいいでしょう」と、伐るために足場を組む必要があるからと、足場用の鉄パイプと足場板を今朝からドンドン運び込んでいる。
 確かに早めに伐った方がいいことは事実なのだが、よりにもよってこの時期にとは…(例によって神様もよほど私から時間を奪いたいのだろう)と苦笑しながら鉄パイプ等を運ぶのを手伝った。
 このような状態で、他のことになかなか関心が向けられない状況なのだが、昨日、女子バスケットボールの二部リーグトップであったアイシンAWが一部最下位となった三菱電機と入れ換え戦を二勝一敗で制し一部に昇格したことは、忙しさに追いまくられているなか、そうした気分に一区切りがつくニュースだった。試合が終ってほどなく、決定戦でも最多得点を入れた浜口典子選手からのお礼の電話が入った。
 浜口選手はスポーツ界で私の動きを取り入れて成果を出した何人かの選手のうちの一人であるが、これは浜口選手の人柄もあるのだろうが、最も熱心かつ真面目に武術の動きと取り組んでいる選手で、私も以前から頭が下がる思いでいた。そういう選手に成果が出たということは、やはり「よかったな」と思う。
 最近はスポーツ等への応用ということより、武術としての在りように、より気持ちが集中している私だが、今回の浜口選手の活躍には、あらためてお祝いの言葉を贈りたいと思う。

以上1日分/掲載日 平成18年3月4日(土)


2006年3月8日(水)

 当面の課題であった2冊目の『武学探究』の校正をほぼ終え、〆切の迫った依頼稿の仕上げを急いでいる。その間にも、昨日1日で機関誌での対談や講演依頼が3本入ってきた。
 どういうわけか、最近は公官庁からの依頼が多い。私のような現代の主流から外れている者に、公機関中の公機関からいくつも取材が申し込まれるのは何やら妙な気分である。
 ただ、依頼者の口から必ずといっていいほど介護の話が出るから、この問題が全国民に重くのしかかってきている重要課題であることは確かなのだろう。介護法革命の先頭に立っている岡田慎一郎氏の責任は益々重くなってきていると思う。
 2月の終わりに四国から帰ってきて、とにかく机に向かっている時間が圧倒的に多い。
 何よりも急務であったバジリコの内田樹先生との対談本。続いて冬弓舎の光岡英稔師との対談本の校正と取り組んだ。そして6日は夕方から単行本の企画の相談のため、出版社2社をはしごする。(こんな経験はさすがに私も初めて)
 2社目のPHP研究所では、もう何年来の懸案になっていた名越康文、名越クリニック院長との共著を、関係者5人で初めて具体的に相談するが、テレビの生番組出演直後の名越氏は、いつにも増してはじけていて、企画の相談というより前半は名越康文という稀代のキャラクターを持った精神科医を鑑賞(笑)する会であった。
 それにしても約1ヶ月ぶりに名越氏と会ってあらためて感じたのは、「人間というのは、本当に日々さまざまな事があるなかを数え切れないほど折り合いをつけて生きているのだなあ」ということ。私も右上腕の痛みが出て、満足に稽古が出来なくなってから、もう1ヵ月半くらいになるが、これを今すぐに痛みを無くすことをしたら(別に痛み止めの薬を使うという方法でなくても)、どうも身体とは別のところで厄介な問題が降ってくるような気がする。
 武術の稽古・修行というのは技を行なうための体の鍛錬とか、それに伴う精神内面の修練ということも大事だが、それもこれも"生きている"という大前提あっての事であり、人が人として生きているという事そのものに斬り込む事に比べれば小さなことではないかと最近しきりに思う。
 もちろん、技の修練そのものが、人が人として生きていることの意味を問うことに直結することが武の道の本道なのだろう。『願立剣術物語』に言う、「正直を諍うこと」とはこの事かも知れない。そして、この本の四十二段目が浮かんでくる。
 「道は在って見るべからず、事は在って聞くべからず、勝は在って知るべからず」
 やはり人間が生きているという事を直に問うのに、私が武術の道を選んだのは正解だった気がする。

以上1日分/掲載日 平成18年3月9日(木)


2006年3月14日(火)

 11日は身体教育研究所で、名越氏と共に野口裕之先生に体を観ていただく。私の右上腕の痛みに関して、数十年間も体の奥深くに隠れていた、その根本原因がどうやら野口先生によって誘い出されてきたようだが、果たしてうまく発症するかどうかはまだ微妙なところだ。
 それにしても野口先生の読みの深さには驚かされる。例によって、いろいろとお話しを伺うことができたが、この夜、ひとつ野口先生から依頼を受けたことがある。
 それは、以前、野口先生がいろいろとアドバイスをされた榎田竜路氏が、いまNPO法人横浜アートプロジェクトの理事長をされているのだが、この榎田氏が今度干ばつに苦しむアフリカのケニアで、自然農法の福岡正信翁の考案された粘土団子を使って、ケニアの大地の緑化を計画中なのだが、そのことへの協力要請である。植物の種子を混ぜ込む大量の粘土団子を作るには小型のコンクリートミキサーが必要で、その購入費用等に1000万円を目標に募金を呼びかけられているという。
 福岡翁の自然農法といえば、今度、光岡英稔師と刊行する『武学探究 巻ノ二』のなかでも話題に上っている事もあり、私も是非協力させて頂くことにしたが、このホームページでも志のある方々に御助力を頂きたく、ここにお願いをする次第です。
 詳しくはNPO横浜アートプロジェクト 〒 248-0007 鎌倉市大町6-3-20 0467-24-1740 http://www.yokohama-artproject.com/index.html
に御連絡をとって下さい。金銭的援助も是非お願いしたいですが、口コミでも、また媒体をお持ちの方、マスコミ等に関係されている方は、より多くの方々にこの事を伝えて頂きたく、重ねてお願い申し上げます。

以上1日分/掲載日 平成18年3月14日(火)


2006年3月20日(月)

 ここ最近は「こんなにも地道に仕事をし続けたことがあるだろうか」という日々。バジリコの内田樹先生との対談本と冬弓舎の光岡英稔師との対談本の再校ゲラが、先週全く同じ日に届いて、そこに数件の雑誌の校正や依頼稿が重なっているが、とにかく出来るところからやるしかないと根をつめてやっている。そのため、つい集中して朝までやってしまい、朝から昼まで寝ている日が何日か続いている。
 その間、蔵前や千代田の稽古会やら、NHK教育テレビの新企画の相談、それから約40年ぶりに風呂場を直したら、土台の木が完全に腐蝕して土だか木材だか分からないほどになっていて、急遽大工の高田氏に来てもらったりと、様々なことがあるにはあるが、あまりウンザリしたりもせず、とにかく仕事をしている。
 これはひとつには、右上腕の痛みで稽古がやりにくくなったせいもある。もっとも11日に野口裕之先生に体を観ていただいた後、13日に首筋が寝違いのようにひどく痛み、その後その痛みが退くと共に3割ほど右上腕の痛みも軽くなってきて、体術や剣術の技にも、それなりの気づきも進展もあるのだが、そうした僅かずつの進展には根本的に関心を失ってきている。
 昨日も、ある雑誌のインタビューに、「現在の私はいろいろな気づきを"塵も積もれば山となる"というような、それ自体の集積が大きな力となる、というふうには考えないで、その集積によって得たもので、いままで自分がやってきた術理を根本から覆したいと思っているのです」と答えた。どうやら最近は「出来ねば無意味」から「出来方の質」へと関心が移ってきているように思う。
 そういう気持ちになってきたせいか、15日の夜、久しぶりに30年来の武友であり、先輩でもある伊藤峯夫氏が来館の折、剣術で真向を斬るのに、横へ払われてもそのまま斬り落とす「一元裡の太刀」に或る気づきがあり、今まで以上に(伊藤氏の竹刀が畳に着くまで)斬り落とせたが、新しい体の使い方を見つけた時の嬉しさが自分でも驚くほどないのである。たとえていえば、ビンの蓋が今まで使っていた蓋より、もっとピッタリするものがあったことに、今頃気づいて「ああ、何だ、こっちを使うべきだったんだ」と思ったぐらいの気持ちにしかならなかったという事である。そのことを伊藤氏に話すと、「そりゃ、ぜいたくだ」と、30年来見慣れている独特の笑顔で笑われてしまったが、とにかく、このところ何かに気づいても、「いや、こんなことをやってるどころじゃないんだがな‥」といった焦りというわけでもないが、何ともいえない不全感が募ってくる。
 そういう思いが結果として私の技の進展を押すことになっているのかもしれないが、何か「ハッ」と根本的なことに気づくものが欲しいと、どこかで強く願っている気がする。もっとも、そういうものに本当に出会ったら、その状況にもよるが、やりかけのゲラなど放り出して、そちらに集中してしまうかも知れない。
 もし本当にそうなったら、いろいろな方々に迷惑をかけてしまうだろうが、まあ、そうなったらそうなったで、いままでにも言ってきたが、私が何か事故にでも遭ったと思って諦めて頂くしかない。何しろ優先順位は動かせないのだから‥。

以上1日分/掲載日 平成18年3月20日(月)


2006年3月23日(木)

 既にこの事は、この随感録で何度となく書き、読者の方々も「もうその事はいい加減にしてくれ」と思われていると思うが、20日の夜にもらったT誌のゲラが、また赤入れする気力をなくすほど私が話したことが反映されていない。
 取材を受けた時に、にこやかな相手に対して、はじめからラフ原稿を必ず見せてもらえるようにくどいほど念を押すのも、相手の筆力を頭から疑っているようで申し訳ないと思うから、一応は言っても、それを取材の条件にするほどしつこく言うことは控えてしまうのだが、今回のように校正がたて込み、本当に時間がない時に、このようなことがあるとさすがに非礼ではあると思うが、今後はどんな場合もライターの方にごく初期のラフ原稿の段階で見せてもらうことを、仕事を引き受ける時の確約事項にしてもらおうと思う。さもないと、すでにレイアウトも終っている原稿の行数を数えながら、何とか間違っている部分を書き換えたり、話を差し換えるために、無駄な時間が大量に失われるだけでなく、精神衛生上も非常に悪い。
 この先、私に取材を申し込まれる方は、申し訳ありませんが、このことを必ず守って頂けますようお願い申し上げます。
 又、急ぎの用件は必ず電話で早めに御確認下さい。よく「電話はご迷惑かと思って…」と、メールやFAXを送ってこられる方がありますが、メールやFAXは、私の場合、もちろん一応は拝見しますが、あまり現実感が湧かないので、取り敢えず常に目の前にあるやらねばならない用件をやってしまいますので、私に依頼をされた方は、申し訳ありませんが電話で直接私に確認をとって下さい。
 それから、メールやFAX等には、必ずその都度、電話番号を書き添えて下さるようお願い致します。大急ぎの用件というのに、こちらから電話しようにもすでに退社されていたりして番号が分からない事が少なからずありますから…。

以上1日分/掲載日 平成18年3月30日(木)


2006年3月30日(木)

 ムック本というと、最近の書籍離れを喰い止める方法の一つとして、写真を多くした読み易い本というイメージがあるが、そうしたムック本の印象とはおよそ隔絶した観のあるムック本と出会った。題は『千代鶴是秀』、雑誌『ナイフマガジン』等を出しているワールドフォトプレスの新刊である。
 鍛冶職人として「不世出の」とまで謳われた千代鶴是秀という人物については、今から四半世紀以上も前の1978年、講談社から刊行された白崎秀雄著『千代鶴是秀』を刊行後半年ほどの時期に買い求め、ほとんど徹夜で読み、以来、深く私の記憶に刻み込まれている。(因みに、この本を私は、私が出した2冊目の単行本『武術を語る』の巻末に、参考文献として挙げている)
 さて、今回出たムック本『千代鶴是秀』の著者、土田昇氏は白崎秀雄著『千代鶴是秀』のなかで、小学生の時から千代鶴是秀その人の許に三千回近くは通ったという人物(白崎氏の本の中では中西昌夫という名で登場している)土田一郎氏の子息のようである。
 本書は27日に岡安鋼材の社長から送られてきたのだが、再校のゲラ読みやその他さまざまな用件に追われ、とても最初からゆっくり本書を読むゆとりはなかったが、ちらちらと拾い読みをしているうちに、私は胸に迫ってくる数々の思いをどうすることも出来なかった。
 そこにはITやら株価に狂奔する日本人とも、スポーツでの栄光を追い求め、その為にはライバルのミスや不幸を喜ぶ日本人とは全く無縁な、とにかく骨の髄まで自らの納得のいく作品づくりに全てを賭けた、ある典型的な日本の職人の息を呑むような話と、それに伴って起こる胸を打たれる数々の物語とが詰まっていたのである。
 ここ1週間、『武学探究 巻の二』の校正と、その内容に直に関わる人々との交流に、『老子』や『荘子』を読み返し、あらためて「人間にとっての自然」について深く考えさせられていただけに、ある面人間の業の深さのあらわれとさえ言える千代鶴是秀その人の真に自らの納得のいくものを造ろうとする、その凄まじい生き様は、「いい」とか「素晴らしい」といった形容を超えた深さと重さを私に突きつけてきた。
 それにしても土田昇氏の筆力は見事だ。恐らくは文章を書くことはプロではないと思われる土田氏がこれほどの文章を書かれることに、あらためて自らの筆力を恥じねばならないプロのライターは少なからずいると思う。

以上1日分/掲載日 平成18年3月30日(木)


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