1999年10月16日(土)
少し以前から、打剣の稽古で体術の柾目返的に下げた状態の手から剣を飛ばす工夫をしていたが、11日頃から以前のように肩の上に剣を構えた状態で打つことが多くなった。
これは柾目返的な打剣法によって気づいた身体のなかのアソビの取り方を、いままでの打剣法に応用してみようという気になったためである。それはただ下方へ膝や腰も抜くということではなく、体の内部がよりすみやかに下に抜け落ちてゆくには、その通路に出来そうな体節部の支点を場合によっては上や横に動かす方法もあるのではないか、という思いが浮かんできたからである。
そして工夫を重ねているうち剣術の体捌きもこのことによって開けてくるのではないかという気がしてきた。
そして翌12日、袈裟斬りで、刀を持つ手は切込入身が重くなるように垂直に沈ませつつ身体を捻らず、左右の半身が行き違うように、つまり井桁崩しに使ったところ、どうもいままでの袈裟斬り以上にその斬りに威力があるように思えた。
そして15日、都内であった稽古会の折、初めて袋竹刀を持って人と打ち合ってみたところ、打ち合った相手がいままでになく大きく崩れる。
相手を2、3人換えて数回打ち合ううち、何か竹刀が当たった感触がおかしいので、その袋竹刀を調べてみると革の中の竹が中程から2つに折れていた。これは普通の三尺八寸の竹刀に厚めの牛革をかぶせて造ったもので、竹刀だけより対衝撃性も強くなっている。いままでは何度も使っているうちに次第に折れてくる例はあったが、今回のようにはじめに折れていないことを確認してから数回打ち合ううちに折れるということは全く無かった。しかも私自身強く打ったという意識は無い。なにしろ前方へ向けて沈む太刀に載せた身体を、左右互い違いに動かすという運動の複雑性に気をとられて、力んで思いっきりなどということはとても出来ないからである。
こうなってみると、以前、私が剣術を学んでいた頃の「腰を切って袈裟斬りをする」という、いわゆる基本の動きが、いかに的外れであったかということを思い知らされた。
そしてそれに関連して、世上、安易にいわれている゛基本゛という言葉の危うさも(以前から散々言ってきたことだが)再認識させられた。
以上1日分/掲載日 平成11年10月20日(水)