2000年3月1日(水)
呼吸、呼吸法ということを、ごく最近思いはじめている。
これについては2月28日に『サンデー毎日』の企画で狂言師の野村萬斎氏と対談したことが少なからず関わっているように思う。
野村氏とは約2時間、互いの実演も含め、話が途切れることがなかったが、対談の後で野村氏が、この対談の世話をして下さったY氏に「話がかみ合ったともかみ合わなかったともいえず、微妙なものだったようですが、傍で聴いていていかがでしたか」と尋ねられたようだ。私はこの野村氏の感想を聞き、対談中も感じた野村氏の誠実さをさらに一層感じた。一芸に秀でた人でも、とかく異分野の人と話す時は少しでも共通なところがあると簡単に「そうそう、まったく同じですね」というふうに話をまとめたがる人が多いからである(これは過剰な゛自己愛゛がなせる共感のように思う)。
この野村氏との対談を通して、人間がそこに在る在りようの力というか意味そのものと、武術に於ける対応の場を重ねて考えるようになったように思う。
「自分がしめる時空間に自分が存在し続ける必然性がどれほどあるだろうか」という問題については、以前、無住心剣術について、それこそ精神に異常をきたすほどに思いを煮詰めていた時期にも考えたことであったが、当時は頭での思考が先行していたためか、単なる理論で終ってしまっていた。それが今回、この時期に、ある切実さをもってこのことが甦ってきたため、この問題に体が反応しはじめたのかもしれない。
呼吸法の是非については以前『古武術からの発想』(PHP研究所刊)のなかで述べたように、一方的に教え込まれた呼吸法というのは、時にその人の人生観をある一色に染めあげてしまう恐れがあり、それ故に呼吸法自体の工夫は私はずっと避けてきていた。
もちろん、これは呼吸法そのものがよくないということではない。呼吸法が有効な故に、その両刃の剣の使いこなしが難しいので私は手をつけなかったし、ましてや他の人に教えたりは恐ろしくてできなかったということである。
それほどまでに恐れていた呼吸法であるが、野村氏に会って、自分の在りようの必然性の自覚などということをと思いはじめてから、なぜか゛呼吸゛ということが気になりはじめ、そのことへと今、気持が向っているのを感じる。
そもそも、私が武術に志したのは、人間の運命の定・不定ということに関してである(このことに関して詳しくは『スプリット』(カルメン・マキ、名越康文共著・新曜社刊)のP.146〜160、あるいは『新・井桁術理』(合気ニュース刊)のP.36〜46に書いてある)。
私はこの問題に苦しみぬいて21歳の時得た結論「人間の運命は完璧に決っていて、同時に完璧に自由である」を体感として私自身のものにするために武術を始めたのである。
それからもう30年が経とうとしている。禅ではよく「更に参ぜよ三十年」などと言うが、30年この間この大問題がいささかでも解けてきたかというと、きわめて曖昧な答しか出せないが、これを解くために武の道に入ったことは間違っていなかったようには思える。
そして今、この問題に対していままでとは違う方向から向き合おうとしているような気がするのである。
2000年3月6日(月)
呼吸について考えるようになって約1週間。
この間、3日の都内での稽古会の折、吸気の折の動作ということを思いつき、翌4日は松聲館で、5日は空手の方々の稽古会に招かれ、今日も桐朋中・高等学校での演武解説を行なってきて確認し、かつ、気づきもいくつかあった。
まず吸気というのは力が入らないため、相手に敵対意識が起りにくいようだ。そのため起り頭の気配も消える。
そのせいであろうか、私が以前『人との出会いが武術を拓く』(壮神社1991年刊)のなかで述べた゛体応感応゛が起りやすくなっているのかもしれない。
正面の斬り、柾目返、浪之上、小手返、小手捕、鍔競り潰し、等々に有効。ただ、人が何か動作する時は呼気か止息しているから、吸気による動作は腹力が出来てこないうちに下手にやると体をこわしかねないような気がする。
ただ、「人の体の調整などは゛呼吸の間隙゛を捉えて行なうのだ」ということをかつて整体協会の野口晴哉先生が説かれていたことなどを思い合わせると、この「呼吸の把握」というのは取り組むにはあまりに困難なことが多いが、内面との微妙な、そして無視できない関連もあり、それだけにやり甲斐もあるように思える。
とにかく、このところ次々にある稽古や演武、講座の場で、この呼吸についての研究をはじめ、今後の稽古方針を考えてゆきたい。
以上2日分/掲載日 平成12年3月9日(木)
2000年3月20日(月)
呼吸ということを意識しはじめて20日近くになる。
いまのところ吸気時の動きということを主に研究しているが、身体がこれに馴染んできて、呼気や止息では身体の内部につかえがおこる感じがする。
たとえば手裏剣術など息を吐きながら剣を飛ばすと、これから自分が進もうとする道に障害物をばら撒いているような、そんな不自由さを感じる。しかし剣を飛ばす力は出にくいから、ここに葛藤がおこる。表面上、吸っているようで、実は吐いているとか、吸いつつ吐くとかそういうことを身体がやるようになるのか、それともまったく違う方法を行なうのか、いまは予想がつかない。
こんなありさまだから私の武術において万人向きの基本技などとても出来そうもない。
「松聲館の技に基本がない」ということに不信感を抱かれている方もあるようだが、私にしてみれば技が十分に確かな師が示す゛基本゛なら、まだ信じることも出来ようが(もっとも、天才故に至難なことを、ごく当り前のように言うこともあるから、信じてやってもなかなかうまくいかないことも多いだろうが)、そうでもない人から習っていながら「これが基本」と言う人は、よほど自分に天賦の才があるという自覚があるのか、物事をあまりつきつめて考えないかのどちらかであるとしか思えない。
世間には往々にして「自分は平凡な人間だから、基本を重視し、これを繰り返し繰り返し稽古するのだ」ということを口にされる向きもあるが、平凡な人がどうして、その基本が重要かどうか、という重大事を認識できるのだろうか?これは私が常々抱いている素朴な疑問である。
しかし、まあ、「これが基本だ」と信じて努力をしている人に水を差すのも、差された人には迷惑かもしれないので、この話はこのぐらいにしておこう。とにかく私はいままでも、そしてこれからも絶え間ない試行錯誤を続けてゆくことになるだろう。その私の軌跡を参考にしたい方はして下さい、というのが、これまた以前から変らぬ私の生き方である。
「百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず」は宇城憲治先生の名言だが、まさにその通り、「私の動きに触れた方が、何かの参考になれば幸いです」というだけのことである。それでバスケットボールなどでは成果が出たから、私の動きもそれなりの効用はあったというべきだろう。
それにしても今月のはじめから呼吸について考えはじめ、なぜ吸気時の動作ということを思いついたのか、ずっと自分でも不思議だったが、今日I氏と稽古をしていて、私が以前からやっている抜刀術の゛逆手抜飛刀打゛などの尻餅をつくように重心を後に移動させて抜刀する動きの際は自然と呼吸が吸気になっていたことに気がついた。これは呼気ではどうしても出来ない。
しかし、手をあげる時の吸気はわかるが、下げる時も吸気の方が動きがスムーズになるのは(体感としてはわかってきているが)いまひとつ理由がわからない。
どちらにせよ、身体がこの研究を欲しているので、少なくともまだしばらくは呼吸について工夫・検討することになるだろう。
以上1日分/掲載日 平成12年3月22日(水)
2000年3月22日(水)
21日に、私がもともとは左利き、と野口裕之先生に指摘され、今日22日からは字もかなり左手で書きはじめている。
手裏剣術などは、指摘された日の夜から左手で打ちはじめ、その日のうちに四間の距離から10本打って、いちおう刺さるだけは9本刺さったから我ながら驚いた。
以上1日分/掲載日 平成12年3月24日(金)
2000年3月28日(火)
夜明け前、打剣。吸気と呼気の間に微妙な何かが感じられる。とにかく剣の飛ぶ感じがいままでと違うのだ。
吸気という、普通の体の使い方では積極的動作をあまりやらない体状況での動きは、ひょっとするとまったくいままで私が出会ったことのない動きを拓いてくれるかもしれない。
しかし体への影響はどうなのか、それはまったくわからない。それ故、ここにこうして私が気づいたままを書くが、いまのところ人に勧めるつもりはまったくない。
とにかく今いえることは、現在の私の体の状況では明らかな呼気や止息で行なう動作では、胸がつかえて、何か回り道をしてゆく気がする。
たとえば剣術などで、相手にいきなり抜きをかけられたりして竹刀を変化された時の対応のすみやかさが、いままで呼気を主としていた場合とは格段に違う感じがするのである。
気持のゆとりが全く違うのだ。ここまで違うと、あるいは危険なことかもしれないが、私はこの拓けかかった世界を探求してみるつもりだ。
ただし念を入れておくが、このホームページを読まれた方で、真似て工夫をされるのはかまわないが、それによって体調がおかしくなったと苦情を言われても責任がもてない。体を捻らないことの有用性は多くの人に勧められるが、こと呼吸に関してはまったく自信がない。なにしろ20年以上、私も自分で封をしてきた世界で、それだけにその恐ろしさはまったく予想がつかないのだから。
以上1日分/掲載日 平成12年3月29日(水)