1999年9月1日(水)
技の進展は8月の忙しい日程に目が眩んで、私自身よく現状が整理できていない。
しかし、改めて考えてみると現在の私が当たり前のようにやっている体術や剣術の技はいずれも8月になって身に付いてきたものばかりである。
どこが大きく変ったかというと、前回この欄に書いた肩の自由落下を助けるため「腰の下に脚がない」という体の使い方をしていることである(腰の下に脚があると、すぐ支点ができてしまうため、いわば半分尻餅をつく形となる。これは抜刀術の逆手抜飛刀打の応用)。
この体の使い方は8月20日の都内での稽古会の折、柔道の足技に対し、その足を払われまいとするより、肩を自由落下させる方が有効で、時にはそれだけで勝手に相手の方が崩れることから自然発生的に気づいてきたものである。
言葉にしたのは21日に群馬であった同志会の合宿の折だったと思う(この同志会は、私の術理を中心に技の研究と稽古をしている、おそらく日本で唯一の大学のサークルだが周囲の白眼視にめげず合宿まで行うようになった。それだけに紅一点を含む参加者11人の雰囲気は積極的で、私も楽しいひとときを過させてもらった)。
その直後にあった仙台での稽古会では盛んにこのことを強調し、今は体術は勿論、剣術、手裏剣術にも展開・応用して研究中である。
以上1日分/掲載日 平成11年9月3日(金)
1999年9月9日(木)
技の進展状況は、先日から展開している「肩の自由落下」と「腰の下に脚がない」という身体の運用原理をさらに追い続けている。
しかし、最近あらためて、これは私が武術稽古研究会をはじめた当初から言っている゛不安定の使いこなし゛そのものだなと思うようになった。
身体を急激な不安定状態にして、そこで発生する位置エネルギーと不安定状態を、なんとかバランスのとれた状態にしようとする復元のためのエネルギーを技として使おうというアイデアは今までにも時々あった(例えば、両膝を畳に突き刺すように落下させる、など…)。
それに「腰の下に脚がない」というのも数年前から言っているリクライニングシートの原理と共通するところも多い。
しかし現実の手の重さが、以前、゛不安定の使いこなし゛を工夫していた時に比べ、私自身も、また受けた人達もハッキリ自覚できるほど重くなっていることは確かで、やはり質的に違ってきているのだと思う。
そしてこの質の違いというのは、要するに身体各部の動かし方の連動の出来の良し悪しのように、今の私には感じられる。
つまり現在の私が最も脱け出したいと思っている、固定的な支点からうねることによって威力を出そうとする動きは、そのうねりにどう乗るかということで、これはこれでたしかに身体各部の動かし方の連動をうまくはからねばならないのだが、身体各部を魚の群れが転換するようにほとんど同時に動かすというような同時並列処理的な動きの連動というのは、その連動の難しさが桁違いに大きくなるのである。
なにしろ、うねりの動きなら下手でもそれなりの力にはなるが、同時並列処理的な動きは、下手をすれば力の解体、自滅状態になってしまうからである。
しかし「ここに何かがある」という私の予感は以前よりもますます強くなっているから、当分はいま掘り進んでいる坑道を掘り続けることになると思う。
以上1日分/掲載日 平成11年9月11日(土)
1999年9月19日(日)
18日の土曜日から私の手裏剣の打法が激変した。
いままでは、剣術で上八相にあたる右肩上に置いた手を、下へ斬り下すようにして剣を打っていたのだが、18日からは思うところあって、ちょうど体術の柾目返のように下におろしていた手を、前方へ上げながら伸ばすことで剣を飛ばそうということで試行錯誤を開始する。
そのため十間まで届いていた私の打剣距離はいっぺんに一間以内になってしまった。
もっとも、手を前へ出すと見せかけて小さく打ち振れば二間以上も可能だが、これではいままでの打ち方をただ小さくしただけに過ぎない。
ちょうどこの日、稽古に来館していたY氏は、流石に皆からその技を観る眼力の高さを買われているだけに、手を前方へ出すことで剣を飛ばすことと、手を前方へ出しつつ小さく打ち振ることの違いを、前者は一拍子、後者は二拍子になっていると適確に指摘。
私も稽古会を始めて20年以上経つが、今回の打法の激変により゛基本゛というものについて、初めて私なりに体感するところがあった。
そして、この場合の゛基本゛とは、動きの基本構造とその修得、工夫のためのプログラムの在り様が見えてきた、ということであり、一般に安易に言われている「何事も基本が大切だから、まずシッカリ基本を身につけよう」というような使われ方の゛基本゛とは、まったくその意味が違うことを、まず申し上げておきたい。
今後、私が今回気づいた゛基本の大切さ゛については用心しながら徐々に掘り進んでゆきたいと思っている。
以上1日分/掲載日 平成11年9月22日(水)
1999年9月25日(土)
新刊の『自分の頭と身体で考える』(PHP研究所)を読んでいただきたい方々に発送する作業で、ここ3〜4日、人との稽古はもちろん、一人稽古もほとんどやっていなかった。
しかし、先週末に気づいた、剣を体術の柾目返のようにして打つ、という全く新たな手裏剣術の試みが、想像をかなり超えた身体の動きのシステムの組み替えを行なっていたようで、今日25日、久しぶりに、ある研究発表のことで私を訊ねてきたI氏と体術を行なったところ斬り込み入身、浪之上、裏柾目などでいままでにない利きがあらわれた。
ところで、今回変わったのはどういう術理なのか、と問われても、今回ばかりはとても質問者に「なるほど」と納得してもらえるような返事は言えないのである。
なぜかというと、ただ私の体内で上部(肩の付近)にあった何かをドンと脚の方へ落す力を使ったとしか言いようがないからである。
「じゃあ、この前まで説明されていた『腰の下に脚がない』とはどういう関係があるんですか」とI氏に訊ねられても、「あっ、そういえばそんなことを言ってましたね」という感じしかしないのである。
まったく我ながら無責任だと思う。もちろんよく考え、検討すれば関連はきっとあるとは思う(なんといっても「身体を捻って使わない」「身体の中の支点を消す」というようなことは当然のこととして私の身体に染みついているから)。
しかし、私個人の実感としては、突然また別の世界に降り立ったような気がしているのである。
これではまた、恵比寿稽古会の常連の何人かに「まったくもう、先生はこれだからなあ…」と非難されてしまいそうで、今から首をすくめている。
以上1日分/掲載日 平成11年9月29日(水)
1999年9月29日(水)
土曜日は、3、4日稽古していなくていきなり体術の技が伸びていたため、私自身も混乱してまったく違った世界に出たように思ったが、その後、日曜日の常連メンバーとの稽古を通して検討を重ねたところ、つい先日まで言っていた「腰の下に脚がない」という身体の不安定を積極的に使う動きを、土曜日以後新たに出現した身体の使い方でもおおいに使っていたことがわかった。
ただその使い方が、この間までは抜刀術の逆手抜からの展開であったため尻餅をつく形で、数年前に゛リクライニングシートの原理゛と名づけた系統のものであったのだが、25日(土)以後の動きはこれが表裏逆で、前がかりの前傾的傾向になっていたのだ。
といっても、もちろん単なる前傾ではない。前傾姿勢の問題点については、かつて中間重心の重要さに気づいたときに述べたが、どうしても寄りかかりという足を支点とした前方へのヒンジ運動になりやすいということである。
したがって、今回現れてきた動きがこの前傾の問題点に抵触しないような、ある種質的に変化した前傾的身体の使い方ということができるように思う。
そしてこれが柾目返的ないままでにない打剣法を身体に課すことによって、身体がそのやりにくさに苦しんで新たに出してきた動きであることは確かであると思う。
もっとも身体をただ新環境に置いたとしても、身体の動きというものはどうしても故郷を恋しがり、いままでの自分の習慣を持ち続けようとするから、口うるさい小姑のように自分の動きを細かく検討し、難癖と思われるほどの注文を自分の身体に課さねばならない。
昨晩(というか今日29日の夜明け前)それを徹底してやった。
やっていて、武術の稽古というのは自分の醜さを、まるで傷口に塩や酢を揉み込むようにして拡大する作業だということに気がつき、こういう稽古はナルシストには出来ないだろうなと、フト思ったりした(もっとも、それこそ本格的ナルシズムへの入口だという説もあるかもしれないが)。
今回稽古をしている時、「指導していただいた」というほどの思いを持ったほどに参考となったのは、『もののけ姫はこうして生まれた』全3巻のビデオで、『もののけ姫』製作の過程で折にふれて発言されている宮崎駿監督のコメントはいくつも深く心に響いた。
そして研究の成果により、手を下におろしたところから柾目返的な動きで二間半まで剣を通せるようになる。「手裏剣術はダーツ(投矢)とは違うんですから」と言っていたが、外見はダーツに近くなったかもしれない。ただ、まだまだ学ぶべきことが非常に多いことは確か。
だがそれが以前よりはるかにハッキリと見えてきたということによって、25日に゛基本゛つまり「基本構造」がいままでになくハッキリとしてきたということが一時の錯覚でないことを再確認させてもらった。
以上1日分/掲載日 平成11年10月1日(金)