2001年1月13日(土)
今年は暮から正月にかけて片付けやら手紙や原稿書きに追われ、7日に道場で常連の人達と稽古した以外は昨日のコミュニティ・カレッジ、そして今日の道場での稽古以外、一人稽古もあまりやっていなかった。
理由は忙しいということもあったが、昨年暮以来ずっと考えている手裏剣術において離れの直後、手が止まれるかという、信州の江崎氏から出された課題の重さがすくなからず影響していた。
江崎氏からは、正月に達筆な毛筆による新年の挨拶と共に、最近の稽古状況の報告が寄せられたが、相変わらず夜明け前の信州の山中で打剣の稽古工夫を行なっているらしい。
夜明け前の暗闇のなかで、「まさに暗中模索の稽古」と洒落てあったが、暗闇そのままと、工事用の電気で照明した場合との違いについて、
゛暗いときは刺さらないけれどもうねりが少なくなり、明るいときは刺さるけれどもうねってしまう、うねる暇があるのならもっと別の所が動いたりするはずだ、といった具合です。とにかく自分でいくら、ここをこういう感じに使う、とか思っていても、その程度のものでは暗闇ではまったく頼りになりません。肥田翁が聖中心を図解で示していますが、あれは感覚的なものではなく、その本人にとってはまったくきちっと体内に線引きできるほどの存在であったと思うのです。そういった確かな規矩が定まらないと…と思っています。
願立に、「眼にわたり心に通さで手の所作を成す事、この三拍子の病を去ること」とありますが、いままでも距離からくる誘いにとらわれてはいましたが、裏を返せばその誘いがあるからある程度つじつま合わせのように刺さる。つまりある距離の的を見たときにそれに誘われるからうねり、投げの要素が使えるのであって、その結果刺さるのであり、的が見えなければ誘われようがありません。誘われようがなければ刺さるわけがない。小山宇八郎が夜風に擦れ合う竹に矢を打ち込んだり、肥田春充が目隠しをして的におもちゃの矢を当てたり、まったくこの世の技とは思えませんが、それでもやはりその世界を信じて疑うことはできません。゛
…と書いてあり、江崎氏が探究している術のレベルが並大抵でないことが読みとれた。
そして用剣を最近短めにしたことで多少うねりが減ったような気がすると書いてあった後に、
゛研究材料が多いのはいいことなのか、或いはそうでもしていないと熱意が冷めてくることへの不安の表れなのか、よくわかりませんが、とにかく「術と呼べるほどの動き」というより「一人稽古と呼べるほどの稽古」が出来るようになりたいものです。゛
…と結んであった。
私もこと手裏剣術の探究にかける思いはかなりのものだと思っているが、江崎氏のそれは私の思いに勝るとも劣らないだろう。
その理由は、1つには私の場合、手裏剣術以外に剣術も体術もやることがあるが、江崎氏の場合、共に研究工夫する相手もなく一人であるだけに、一層武術としての動きの質の向上を、この手裏剣術のみに託しているからかも知れない。とにかく、このように江崎氏の感覚が常に深所高所に向って背中を押されている状態である以上、年月の経過と共に江崎氏は得難い発見を重ねてゆくことだろう。道縁のあったことを心から感謝している。
今日13日は、約1年ぶりくらいに来館のK氏をはじめ、5名ほどの人数だったので、今年初めて長時間稽古をした。稽古のなかで、昨年得たことを整理して、改めて術理について検討を加えた結果、技の利く理由が以前よりハッキリしてきた。
たとえば、昨年の11月に気づいた剣術の下段からの右籠手留の体の応用による正面の切り込みや杢目返、片手あるいは両手持たせの沈み込み等の技のレベルが上がったのは、下段籠手留の体によって身体各部が分割し浮遊する状態が促進されたためのようだ。
ただ、技が利くかどうかは、この分割され浮遊した身体各部をいかにして時間差なく同時に働かせられるかにかかっているらしい。両手持たせの沈み込みなどでも、受が手ではなく肘の内側にはさみ込んで崩れないようにしているものは、相手がたいして強くない場合でも手持ちにくらべれば格段に難しい(やってみればわかるが、受の両肘の内側にこちらの腕を預けた段階で、普通はまず出来るような連想が湧かない)。
そうした今までの経験から来る「出来そうもないな」という感覚を断ち切るためにも身体各部の分割と浮遊は重要なようだ。そして一気に沈む。何より重要なのは、膝の支えを抜くから腰も背も肩も腕も自然に沈むなどと考えないこと。そのような考えは、うねって体を使うのと同じであり、ドミノ倒し的に身体の重さがパタパタパタと増加してゆくため、技としては有効ではない。
武術としての動きというのは、慣性力の統御であり、唐突に気配なく動き、気配なく止まり、気配なく変化するのでなければならない。そのために捻らず支点の居つきを消すのである。そして、そうした捻らずうねらない動きを育てるための稽古法が何より重要なのである。
私の場合、いまは下段籠手留の体を、打剣時に手を止める工夫が吸収して展開しそうであるが、先はなんともわからない。
このような現在の私が行なっている技の実演と稽古工夫については、1月27日、横浜の朝日カルチャーセンターで行なう予定の公開講座や1月15日から新宿の朝日カルチャーセンターで始まる全5回の連続講座、それに毎月第2金曜日、池袋コミュニティ・カレッジで行なっている講座などで公開しているので、御関心のある方は参考にしていただければと思う。
※朝日カルチャーセンター・横浜での講座(終了しました)
;講座名……古武術にみる「身体」
日時………2001年1月27日(土)15:30〜17:30
場所………ルミネ横浜8階(横浜駅東口)
問合せ先…朝日カルチャーセンター・横浜(рO45−453−1122)
※1/15からの朝日カルチャーセンター・東京での連続公開講座(全5回)については、当HPの
「活動予定」欄を御覧ください。
以上1日分/掲載日 平成13年1月15日(月)
2001年1月23日(火)
今年の1月は昔を思い出す冷え込みだが、ここ何年も暖冬つづきだっただけに、どこか冬らしい冬で安心する。
20日は今年2度目の雪。その雪の中、夕方から国立の桐朋高校へ。岡山の陸上競技の指導者・小森君美先生が上京されたので、桐朋高校の金田、長谷川両先生に加えH高校や熊本のY高校の先生達、トレーナーの方、それにJリーガーのK選手や桐朋のエースで今年すでにA大への進学が決まったS君、S君の後輩で桐朋中学のM君、桐朋OBのF君、小森先生の教え子でK大生のH君等々に、この日夕方まで私の道場で稽古していたY氏、K氏等が集まっての研究会。
主としてバスケットボール、サッカー、それにラグビーなどへの私の動きの応用の検討。
休みの日、他に人気のない柔道場の気温はおそらく零度くらいだったろう。
私は始終動きっぱなしだったから寒さを感じなかったが、説明を聞いて下さった方々のなかにはずいぶん寒い思いをされた方もあったのではないかと思う。それでも、熱心に聞いて下さったり体験して下さったので、その寒さの中19時から23時頃まで約4時間柔道場でいろいろと動き、その後1時間ほど体育館で数人の人達と又動きの研究をした。そしてそれらが終ってから体育の教員室でサンドイッチやおにぎりをつまみながら種々話しをし、お開きになったのは午前3時をまわっていたと思う。
この研究検討会では、私もいくつか新たな発見があった。最も私自身印象的なのは、ラグビーの対タックルの対応で、左右斜め前から2人が私にタックルしようと走り寄って来るのに対し、走行速度の変化で2人のタックルを外して走り抜ける動きである。
この時の走りが現代的な体を捻る動きであったら、走っている途中速度を変えても、それが相手に伝わり追尾されてしまったろうが、体を捻らぬ、いってみればナンバ的な走りであったため、2人ともその速度変化に対応できず私を捕捉できなかったのだろう。
その後、プロサッカーのK選手にも私の走るのを妨げる動きを試してもらったが、同様な速度変化によってこのK選手のブロックをかわすことができた。
この他にもいくつか新しい動きの発見、気づきがあったが、私としてはそれらすべてが、この間もこの欄で書いた、片手持たせの沈みで身体各部が全部一緒に(つまり身体各部それぞれが自発的に自分の役目を自覚して)沈めるか、ということときわめて関係が深いような気がしている。
それは、18日の都内の稽古会で、私より30sは重いと思われるが動きも敏捷なT氏に両手を持って遠慮なく押し込んできてもらった時、この沈みを今までになく上手く使えた結果、S氏も私も驚いたほどの崩しが出来たあたりから、何か身体が次の段階に入ったように思えるからである。
そして、この身体の使い方の別段階への移行には、打剣の工夫、「剣が手から離れて、すぐその手が止まるか」が深く潜在的にかかわっていくように思う。手が止まって剣が離れるのではなく、剣が離れて手が止まること。しかし、これは超常現象に近いほど難しそうだ。
しかし最近の稽古は本当にムラがある。20日は6〜7時間も稽古して、その後21、22、23日と忙しさもあり全く稽古していない。ただ、暮から正月にかけてもそうだったが、何日も稽古していなくても「怠けている」とか「やらなければならない」という焦りがまったくない。それどころか何かが変わろうとしているのにヘタに稽古をやって従来の動きの癖をひきずるとその方がよくないような気さえするのである。
今後どう変わるかまったく予測がつかないが、今年は中島氏等に協力してもらって、いままでの私の術理の総整理をして1冊にまとめたいと思っている。
以上1日分/掲載日 平成13年1月25日(木)