2001年7月1日(日)
6月30日、7月1日と仙台での稽古会に臨む。
仙台での稽古会は、宮城県内の合気道の指導で中心となって活躍されている方々が、私を招いて下さっているだけに、ほぼ2ヶ月に1度、安定的に稽古会が持たれ、やがて満9年になる。
前回から、土曜日から日曜日にかけての稽古会となり、2日目(日曜日)の午前中の稽古も、今までになく参加者が多く、熱気があった(そのお陰か、技の気づきもいくつかあり、その具体的内容に関してはいずれ『技と術理…』に書くつもりである)。
稽古の後は、S女史の車で炭焼きの佐藤家へ。
前回来た4月18日は、佐藤家の近辺の木々はコブシとマンサクの花の他は新芽も出ていなかったが、いまを盛りの緑葉を風にそよがせている。その緑のなかに時折白く見えるのは、ほとんどがマタタビの白変した葉のようだったが、鮮やかな白は恐らくガマズミの花であろう。ガマズミは木質が丈夫で真直ぐなので、ハンマーの柄や鎌の柄に適している。
佐藤家に着くと、佐藤光夫・円夫妻と一人娘の遍ちゃんの暖かな出迎えを受けた。我々が佐藤家に到着した直後、もう1組の客人グループが佐藤家を訪ねて来られた。聞けば、私が今日来るというので、以前から私に関心のあったライフル射撃の専任コーチで、JOC(日本オリンピック委員会)の選手強化委員でもあるF氏と、F氏のスタッフの女性、そしてこのF氏らを案内して来られたのは、佐藤家とは以前から親しい、ユニークな花店の店主であるS氏御夫妻だという。
F氏は御自身かつてライフル射撃のある部門で、何回か全日本の優勝を飾られたことがあるそうだが、私の技の解説を聞かれて2分と経たないうちに異常なほど強い関心を示され、文字通り打てば響く通りの良さに私も思わず説明に熱が入った。また、F氏のお話をうかがってみて驚いたのだが、射撃の成績が他国に比べ桁違いに優れているというブルガリアでは、選手の訓練に、岡山の陸上競技の指導者で私の武術をヒントにいくつもの新しい訓練法を創り出された小森君美先生のトレーニング法と非常に似ている訓練法を行っているようだ。
また、食事の質ということにも気を配られているとの事や、現場感覚と学問的指導理論の間に大きなズレがあることを自覚されていることなど、驚くほど私との意見の一致をみた。
大変お忙しいようだったので、1時間ほどしかお話し出来なかったが、私の体術、抜刀術、手裏剣術などの実演を、実に真剣な表情で見入って下さった。「いずれあらためて詳しく時間を設けて話を伺いたい」ということであったが、この御縁は今後具体的展開がありそうな気がした。
F氏御一行が帰られた後は、佐藤家ファミリーと夕食。内容は、佐藤家の家の前に自生しているミズ(ウワバミ草)、ワサビ、ミツバ等の山菜を洗って、これにニンジンを加え、スズキのジュースマシンで擂り潰したもの、ミズとチクワの煮付けに特別の蕎麦粉で蕎麦掻きといった野趣あふれたもの、それに私が土産がわりに送った焼酎゛古八幡゛。゛古八幡゛は、酒類が嫌いではない円夫人への贈り物のつもりだったが、酒にはひどく弱い光夫氏や私も気に入った逸品だった。
以上1日分/掲載日 平成13年7月6日(金)
2001年7月12日(木)
気づいてみれば7月ももう半ば、梅雨も明けてしまったようだ。
ここ1週間ほどは、そうした認識もなかば上の空というほどに、様々な用件がたてこんで、原稿書きは勿論、必要な手紙やら電話も滞ってしまった。中でも一番たて込んだのは10日で、この日は午後1時から始まる演出家の竹内敏晴先生との対談の録りで、朝から寸暇なしのありさま。
その上、何とかこれを午後5時までに終了してもらい、有楽町の日比谷スカラ座へ。
スタジオジブリから御招待いただいていた宮崎駿監督の最新作、『千と千尋の神隠し』の完成披露試写会に駆けつける。
報道関係者の夥しいカメラの放列の前で、招待客1人1人に挨拶をされている宮崎監督と鈴木敏夫プロデューサーに私も完成のお祝いを短く述べて中へ入る。席は宮崎監督の御家族の1列前で、加藤晴之氏の御家族の隣を用意して戴いており、これには恐縮した。
上映時間2時間4分。その絵のスケールは圧倒的、映画の意図も狙いもハッキリしているし、これは確かにヒットするだろう。
「もうこの頃は自分の寿命が尽き始めているカウントダウンを感じますよ」と以前お会いした時私に話して下さった宮崎監督が、これほどのものを作られた事を思うと、宮崎駿という人物の持つエネルギーの凄さにあらためて驚かざるを得ない。
ただ、さすがに前回の『もののけ姫』のような、あまりのショックに映画が終ってからしばらく座席から立ち上がれなかったというような事はなかった。
『もののけ姫』は、宮崎監督御自身、「いったい自分が何を作ったのかも分からない、自分の中で整理がついていない」と感想を述べられていたが、これは剣術に例えれば゛夢想剣゛ともいうべきもので、それだけに今回の『千と千尋の神隠し』のような明確な狙いの許に作られた映画とは、全く違った斬れ味が(少なくとも私にとっては)あったのではないかと思う。
しかし、最近しみじみ思うのだが、『もののけ姫』によって、ずっと絶望に閉じ込められていたこの春までの3年半ほどの間は、辛いことはもちろん辛かったのだが、その辛さが同時にひとつの保護膜となって、他の様々な悩みや問題から私を隔離していたような気がする。
その保護膜が無くなったからには、今回の映画の千(千尋)のように、とにかく自分に出来ることをやってゆく以外に道はないのかも知れない。
以上1日分/掲載日 平成13年7月6日(金)