2001年6月3日(日)
5月30日、疲れ果てて関西から戻ったのだが、その後昨日までの3日間は、かつて私が4日間ぶっ通しで読んだ大本草創期を描いた大河小説『大地の母』の世界を思い出してしまったような展開。
大本開祖出口なおの一生を描いたこの小説は、奇なる事実の宝庫といわれた大本の開教からその急成長の初期が描かれているが、そこには奇妙不思議な因縁の糸で結ばれた人々が大本に触れたことで、それまでの平穏な生活から大激変してゆく様子が実によく書かれている。
今年の2月、この3年間ほどずっと私の心を覆っていたどうしようもない絶望感をなんとか畳んで心の隅に仕舞ってから(勿論根本的になくなった訳ではないのだが)様々な展開が始まっているが、何だかそれがここへ来て急加速してきたようだ。
31日、作家のT女史との出会いもあまりに話が出来すぎ。都内の千数百人を収容できる会場でアイヌのシャーマンの女性とのトークショーに臨んだT女史の許には、開場前にファンと思われる人々が長蛇の列で並び会場は満席状態。
トークショーの後、かつて私が多田容子女史との対談を行った時お世話になった『鳩よ!』(マガジンハウス)のK編集長の案内でT女史に初めて会う。トークショーの折、遠目に観た時から感じていたが、T女史は少女と大人が混在したような実に不思議な存在感の女性。お会いして改めて驚いたのは、実に十方向ぐらいから私の知っている人物とコンタクトがあったらしいことだ。
「甲野さんのことは何人もの人から聞いていたので一度お会いしたいと思っていたんです」と、この不思議な魅力のある人物から言われると、何だか記憶が逆転して、随分久しぶりに親しい人と会ったような(過去のことを思い出しているような)気がしてくる。
結局この日は、T女史と私以外は殆ど出版社の編集者といったメンバー10人近くで呑みに行き、実質的この日のイベントの打ち上げとなったこの呑み会が散会になったのは午前1時をまわっていた。
そしてこの日の後1日おいてまた『大地の母』を思い出させるような出会いがあり、それ以外にもインタビューや本の打ち合わせ、取材、対談の企画がいくつも入ってきて、書かねばならない原稿はまったく進んでいないありさま。
そんな忙しさだけに今まで何度も申し上げたことだが、原稿を依頼して下さった方やインタビューの約束をされた方で、この『交遊録』を御覧になられた方は、〆切日や予定日以前に今一度ご確認の御連絡をお願いしたい。
もちろん私も約束を破るようなことがないよう極力気をつけているのだが、電話が連続して入って更に来客があったりするとついメモし忘れ、うっかりその用件そのものを完全に忘れたり、ウロ憶えのまま他の用件をその日に二重に入れてしまったりすることが今年に入って2度ほどあったので…。このようなことは人と会うことを仕事としている者に本来あってはならないミスだが、仕事量が1人で処理できる限界を超えてきている(さりとて人を雇う余裕などない)現在、関係各方面の方々に御容赦を乞う次第である。
以上1日分/掲載日 平成13年6月4日(月)
2001年6月17日(日)
ふと気づいてみれば6月ももう半分以上過ぎた。つい2、3日前と思ったことがもう1週間以上も前になっている。
その1週間以上前の6月8日は昼すぎ神田で青土社のT氏、それに立教大学教授の前田英樹氏と会い、1年にわたって続けてきた『剣の思想』(『現代思想』誌連載)を1冊の本にまとめる相談。
その後、久しぶりに岡安鋼材に寄って、『ナイフマガジン』等の冊子を購入。最近は近世伝説の鍛冶職人として知る人ぞ知る千代鶴是秀翁の記事がよく載っているし、阿仁のマタギ鍛冶、西根稔氏関連の記事も出ているので、この雑誌を読むのは楽しみのひとつ。
岡安鋼材のあとは、何年ぶりかにJR御徒町駅をはさんで反対側にある組紐の店゛道明゛へ行き、柄糸に関する最近の情報を仕入れる。その後は池袋コミュニティカレッジへ。
9日は稽古の後、大阪の精神科医名越康文氏らと合流し、瀬田の社団法人整体協会・身体教育研究所に野口裕之先生を訪ねる。今回も、いくつも目の覚めるような言葉を聞くことが出来たが、「イメージにこだわった体の訓練は、体の感覚が育たない」には唸らされた。
11日は、朝日カルチャーセンターでの講座だったが、その前に先月31日にお会いしたM出版社のF女史から本の企画のことで相談を受ける。この日は他にも企画会社MのO氏も来られ企画のお話を戴く。
12日、14日、16日は稽古で来館者あり。それらの日々の間を縫うようにして、たまっている手紙やら原稿書き。
今年の正月にはスッキリと綺麗な道場にしようと思っていたのに、次々と入ってくる用件に再び道場や居室は倉庫になりかけている。来月は撮影等もあるので何とかしなければと思うのだが…。
以上1日分/掲載日 平成13年6月18日(月)
2001年6月19日(火)
昨夜は、先月31日に文京シビックホールで行われたトークショーに出られた作家のT女史から夕食のお招きを受けていたので、夕方都内に出かける。
食事の前に、今回の食事に同行のH氏や、待ち合わせの場所まで同行されていた編集者のC女史らと喫茶店で少し話し、その後T女史、H氏と3人でタクシーに乗る。お目当ての店はあいにく定休日だったので、H氏の案内でその近くの別の店に上がった。
その店に上がる少し前から何となく予感はしていたが、T女史のただならなさは、この店にいた2時間半ほどの間に思い知らされた。
今まで私は結構様々な人に会ってきたつもりだったが、T女史にはそれらの経験で育ってきたセンサーが殆ど役に立たず、まるで濃霧の中を彷徨っているようだ。
進路をみつけようと話をしているうちに自分が普段無意識のうちに封印していた見たくない自己愛の蓋が外れ、臭味が体中から吹き上がってくる。そのあまりのやりきれなさに堪りかねて、何とかしようと話をいろいろに振ってみるが、そうした話に対する反応が今まで私が経験してきたどの人とも違う。例えばその答えを活字にしてしまえば、ごくありふれた表現であったりするのだが、間も表情も全くオリジナルで、分別処理が出来ないまま私の中のゴミはどんどん溜まってくる。ちょうど、どうやってもこうやっても体術で私の技が相手に通用しないようなもので、もがけばもがくほど底無し沼に足をとられて首だけ出ているような状態になってしまった(私も、相手にとってまるで関心のないような話だったらする筈がないのだが、関心があるに違いない確信はあるし、現にT女史の返事の言葉を聞いていれば関心があることは事実らしい。しかし、何かそこにT女史が存在していないような手応えのなさを感じるのである)。そうするとますます空まわりして自家中毒してくる。
以前、精神科医の名越康文氏は、「本当に゛教育分析゛が入った時は自分を含め全宇宙の存在を呪い殺したくなるほどの自己嫌悪がするものです。ですから分析を受けて『受けてよかった。私が分かった』などという゛教育分析゛は完全に失敗ですね」と語っていたが、いつの間にか結果としてその状態になってしまったような気がした(もっともT女史の方は無邪気にというか、別にどういう思惑があるわけでもなかったのだろうし、恐らくすぐ近くで我々の様子を見ていた人がいたとしても、「結構あのテーブルも盛り上がっているな」という印象を持っただけだったと思う)。
「何なんだ一体これは…」と思っているうちにも時間はどんどん経って、T女史は翌朝のラジオ番組収録の打ち合わせに行かれた。T女史がタクシーに乗られるまでH氏とともに見送った後は、さすがに全身の力がぬけ、喫茶店でH氏に1時間ほど付き合ってもらって話をして何とか自分を取り戻し家路についた。
帰ってすぐ名越氏に電話し、一体私に何が起こったのか整理し、ようやくその晩眠れるところまでは整理がついたが、今日1日は殆ど使いものにならなかった。
今までも゛食あたり゛ならぬ゛人あたり゛をしたことは何度かあったが、今回のような何とも表現の出来ない゛人あたり゛は生まれて初めてのように思う。
T女史とは一体何なのか。T女史自身が言われるように「最も普通の人」なのか、「選びに選びぬかれた、時代に呼ばれた人」なのか。T女史自身は他人がどう評価しようとも、それに影響されることなど殆どなく、ひたすら我が道を行かれるだろう。
それにしても、「人間の運命は決まっていて自由」などと言ったのは私だが、T女史と今後も縁が続くかと思うと心底そらおそろしい。しかし、だからといって逃げるわけにはいかない。
『願立剣術物語』の最後の段に、「敵の善に亡ぼさるる物ならば、其隠家もあらん。善悪我に有る故、山の奥、水の底までも、悪を亡ぼす敵の来ぬと言う事なし。恐るべし恐るべし」とある通り、逃げたら自分にとって最も見据えなければならないものを避けて通った腰抜け者として、私は私自身に責め苛まれるだろうから。
もっとも、T女史に初めてお目にかかった先月の31日、この秋のイベントの共演者として出演するOKをいただき、すでに関係方面が会場の手配などで動き出しているから、そうした仕事上の義理からいっても、もう逃げ出すわけにはいかないのだけれど。
皮肉な事だが、これが『もののけ姫』以来の絶望感にずっと心が塞いでいた、今年の立春の頃以前であったら、こんな精神状態にはならなかったように思う。まったく「あちらを立てればこちらが立たず」とはよく言ったものだ。
もっとも、考え方を180度変え、この大波を機に私の心の中の大皮が1枚剥がれれば、私にとってこんなにめでたいことはないとも言える。そして、そうなればT女史は私にとって忘れがたい大恩人となるのだが、果たして私の人生の脚本はそんなふうに書かれているのだろうか。それはこれから実際に歩いて確かめるしかない。
以上1日分/掲載日 平成13年6月21日(木)
2001年6月21日(木)
゛食あたり゛になった時は、ぬるい湯に入ってゆっくりと沸かしながら入ると良いと云われているが、゛人あたり゛もそれなりの処方があるらしい。何がどう働いたか分からないが、この忙しい時に昨夜12時頃から今日午前10時まで10時間寝て、どうやら18日の゛人あたり゛の第一波はぬけたようだ。
最近なぜか『大地の母』をつい読んでしまう。草創記の大本を描いて迫真の描写のこの小説は、運命に弄ばれる人の心の頼りなさと浅ましさが実によく描かれている。読んでいると、どういうわけかつながる縁は何がどうあっても繋がるものだし、続く縁は続くものだという諦めにも似た確信が生まれてくる。
以上1日分/掲載日 平成13年6月23日(土)