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2009年6月3日(水)

 嵐のような忙しさが一段落したので、その忙しさで止まっていた身近な用件をやる余裕が出るだろうと思っていたところ、私の忙しさがやや緩むのを待っていたかのように、知友の人たちからの連絡が間断なく入り、それらへの対応と片付けなどをやっていると、連日夜明けまでやる事が止まらず、多忙を極めていた時よりも遅くまで起きている日々が続いている。これは、ひとつには今の季節、夜明け前から鳴くホトトギスの声を聞きたいためもあるかも知れない。それと、体がどうもまだフランス時間にロックされたまま、という事もあるかもしれない。
 体調はまあまあだが、とにかく、やりたい事、やりたい企画、それと、やらなければならない事が際限なく湧いてくるのには我ながら半ば呆れ、半ば感心している。
 今日は名古屋で講習会。明日は大阪で公開トーク。
 技の方は足が地面に対して居つかない、踏ん張らないという事から、脚部が骨盤に対して、骨盤が上半身に対して、腕が胸や背に対して踏ん張らず、つまらないようにする事の重要さを、数日前あらためて自覚し、ちょっと感動したが、よく考えてみると、以前よく言っていた「例え」の、「小魚の群れが一斉に動きを変える」という事は、つまりはそういう事も含まれていたのだとあらためて気づいた。
 それにしても、こうした事は言葉で言えば簡単だが、現実に身体で体現するとなると、その困難さは一通りではない。ただ、どれほど難しくても、手がかりがまるで無いよりは、難しくともあった方が遥かに有難い。とにかくこの事は、様々な角度から、また検討し直してみたい。

 今月は九州の佐世保と熊本。新潟と佐渡、金沢、福山と、あちこちで講習会や講演を行ないます。新しく検討に入った身体の使い方についても説明致しますので、御関心のある方はどうぞ。

以上1日分/掲載日 平成21年6月3日(水)


2009年6月6日(土)

 人との出会いや人生は思いもかけない事から幕が開くことがあるが、今回の名古屋・関西方面の2泊の旅も、例のインフルエンザの大騒ぎのお陰で思わぬ展開となった。
 当初6月3日は、ある大手銀行の依頼で、大阪で講演会の講師を務めることが早くから決まっていて、それに合わせて朝日カルチャーセンター大阪で名越康文・名越クリニック院長と公開トークを行なうことになっていたのだが、このインフルエンザのために先月の終わり頃、急遽銀行での講演が取り止めになってしまった。そのために空いた3日の日に名古屋で講習会をやることにしたのだが、急な告知にも関わらず、想像以上の方々に集まっていただき、私も熱の入った講習会を行なうことが出来た。
 この日は、いままでとは違う平日だったため、夕方から夜にかけての講習会となり、そのため名古屋に泊まって翌日大阪に向かう事にしたため、何人かの方々と食事を終えて、世話人の山口氏にホテルに送ってもらった時は12時をまわっていた。
 それでも、いつもなら送ってもらった山口氏等と技の話をして30分から小1時間はついつい過ごしてしまうのだが、この夜はいろいろと連絡が入ってきて、こちらからも入れなければならない用件がいくつもあった事と、翌日の午前中、名古屋のある柔整の専門学校の柔道部の道場に山口氏に送ってもらって出向く事になっていたため、そのまま別れた。
 そして翌日、10時前に山口氏にホテルに迎えに来てもらい、名古屋駅からさほど遠くない、その専門学校に伺った。この専門学校の柔道部のK監督は柔道の名門大学の柔道部出身であるが、今年の1月かねてから私がよく知っているK接骨院のK院長の紹介で来館。3時間ほどの間に、私がいままで出会った柔道関係者の誰よりも私の技と術理を理解し関心を持たれた方である。私は、いままで何十人もの柔道関係者の人達に実演と解説をしてきたが、このK監督ほど話しが通った例は全く記憶になく、非常に稀な感性を持たれた方だと強く印象に残っていたのである。そして、いつかまた再会できる機会を楽しみにしていたのであるが、今回思いがけない予定変更で名古屋で講習会を行なう事になった時、このK監督も参加されるらしいという連絡がK院長より入り、K監督と連絡を取り、名古屋での稽古会の翌日(私は夕方までに大阪に入ればいいので)、どこかで少し私の技の解説と実演を行ないましょうか?と提案したのである。後で考えてみると、K監督としてもいろいろと予定もあり有難迷惑ではなかったかと思うが、「本校の道場に来て頂ければ何よりです。10時から12過ぎまででしたら空いておりますので…」という連絡を頂いたのである。このような招かれてもいないところに「私から出向きましょう」と押しかけ提案をするという事は、私としても滅多にないのだが、K監督の話しの通りの良さに、何か普通とは異なる縁を感じていたからだと思う。
 そして4日、山口氏と共に柔道場に伺った。初めはK監督と女子部のT監督、それに数名の部員の学生さんを対象に、技の解説と体験をしてもらっていたのだが、1時間ほどすると次々に部員が集まり、最終的に20人以上の人達を相手に技をかけたり質問に答えたり…といった展開となった。
 この日、私も非常に気持ち良く過ごせたのは、参加して下さった人達が皆素直に私の技を体験し、熱心に質問をされ、率直に驚きを表してもらったからである。いままでの私の体験では、招かれて行っているのに選手や生徒が驚いていると、その生徒を呼んで耳打ちし、その驚きに水をかけようとしている指導者、チラチラ盗み見はするが、まるで無関心を装う道場主、私の技の予想外の利き方に気まずい沈黙をするコーチ、といった事が殆どで、指導者から受講者全員に強い興味と関心を持ってもらったという例はごく限られていたからである。
 この日、私が驚いたのは、K監督の「みんな試合で『こう組まれたらやりにくい』といった事を、せっかくの機会だから先生に質問するように…」という提案で、何人かの学生さんから「こういうふうに持たれ、こういう形で頭をつけられるとやり難いんですけど…」といった形で相談されたのだが、そのやりにくいという状況は確かに力んでいては動きがとれないだろうが、相手がシッカリ掴んでいるという事は、こちらが持たなくても、相手の方からこちらの力が伝わりやすい、つまり影響を受けやすい状態になっているという事であり、こちらが強引にやろうとせず、気配を消してスゥーッと動くとそのまま相手を抱え上げて落とせたりして、私としてはむしろやりやすい状態だったりした事である。もっとも私も、こういう事が無造作に出来るようになったのは、ひょっとしたら本当に、ごくごく最近の数日前くらいからかも知れない。このような私程度の人間のやる事が、現代柔道の常識から見ると驚かれるような事になったのは、現代社会の何でも科学的に観るという姿勢が、人間の動きという事を研究するのにも科学的手法を取り入れなければならないという思い込みが逆に仇となって、術という普通の常識では矛盾するような事を行なってみせる世界が消えてしまったのではないかと思う。何しろ科学的研究のために論文形式に物事を観察記述するには、本来はきわめて複雑な人間の動きを部分化・限定化して、ごく単純な要素に分解しなければならず、そうなれば"術"の世界などは捉えきれずに抜け落ちてしまうからである。
 といって"気"などという神秘主義的概念を強調し科学的視点を排斥、もしくは「これが新しい科学だ」と自分勝手にぶち上げれば、その団体の門下生はその教えを提唱する指導者のロボットになるしかない、カルト団体の一員となってしまうだろう。
 私の愛読書『願立剣術物語』では"釣り合い"という事は大変重要なことだと繰り返し強調しているが、右にも寄らず左にも付かず、上にも下にもつかないで、中道を歩むという事は本当に難しいことだ。
 ただ、この専門学校で監督さん以下、何人かの志を得た若い人達が、いままでの柔道の常識にも捉われず、大袈裟な神秘主義にも惑わされず、事実そのものを見つめ、自分の体の中から生まれてくる実感を大切に育んでいったら、思いがけない世界が開けるかもしれない。そして、そうなれば、やれ「ゆとり教育が間違っていた」だの何だの言う前に人間が物を知り、学び、技を磨くとはどういう事なのか、という根本問題に少しは本気で目を向ける人も育ってくるように思う。
 柔道の稽古でもスポーツの練習でも、ライト兄弟が周囲の冷笑など何も気にせず、飛行機を発明した、あの情熱で取り組むべきだという私の話に、K監督が大変共感して下さった事が私には何より嬉しい事だった。「苦しさに耐えてこそ栄光がある」などという馬の鼻先にニンジンをぶら下げるような言葉や、「何度もやめようと思ったけれど頑張った」などというブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるような努力ではなく、「それをやらずにはおられない」という強烈な探究心を誘発してこそ常識を超えた世界に入ることが出来るだろう。そして、それは人間の自然な在り様に素直に目を向ければ、自然と理解出来る筈である。そして、理解して下さった方々がそれぞれの場で発言し行動して下されば、現在の少年少女が置かれているスポーツや勉学の環境が少しはより明るい方向に向くのではないかと思う。
 4日は夜に大阪で行なった名越クリニック院長との公開トークもなかなか印象深いものとなったが、それを書くにはもはや時間がないので又の機会としたい。ただ、その際お世話になった朝日カルチャーセンターのM女史と、打ち上げを世話して下さったS女史には心から御礼を申し上げたい。

以上1日分/掲載日 平成21年6月7日(日)


2009年6月19日(金)

 梅雨の晴れ間の木々の緑は、1年の内でも最も青々と生気を帯びている。13日の佐世保、14日の熊本での講習会に向かう途中、また終わった後、そうした木々の濃い緑を見ることは、何にもまして私にとって生きている実感が得られる。
 その上、今回初めて訪れた菊池渓谷では、朴歯を地下足袋に履き変えて、渓谷の岩から岩を跳びながら流れを渡ったりしたため、一層そうした緑の中にいる自分が感じられた。また、地下足袋を通して得られる木の根や岩角の感触は、気分の上でも良かったが、それ以上に私の足自体がそうした刺激を欲していたのだという事を、いままでになく感じ取るが出来、これは新しい気づきだった。
 それにしても、今回は様々な気づきの多い旅だった。技の上の展開も、手を使わないようにという事が、ただ使わないのではなく積極的に納刀するように、というのは、ここで書いてもあまり伝わらないだろう。技については、実際にその場に居る人達にはある程度伝わるが、言っている事とやっている事が正反対というような妙な展開になりつつあって、これを言葉でどう表現すればいいかは今後の課題である。
 技や身体のこと以外の気づきでは、佐世保でいつもお世話になっている世話人の平田氏のアシスタント的存在で、私を空港まで迎えたり、熊本まで送って下さる野元氏の類稀な人としての力量を、あらためて感じた事である。もっとも、"類稀な"などと表現すると、野元氏には頭から大否定をされそうだ。まあ、確かに渡辺京二先生が書かれた『逝きし世の面影』(平凡社刊)を読めば、昔の日本にはこの野元氏のような大らかでいて実地に即した農作業や機械の操作に関する知識に明るく、周囲の人達を自然と助ける人達は少なからず存在したのだと思う。しかし、残念な事に現代はそういう人が、つまり本来は子供達が最も必要とする大人が激減し稀になってしまっているのである。
 今回、熊本の山中で一泊した時、そこに同行した農業に関心を持ち始めた大阪在住の女性のK女史に、野元氏が農薬や化学肥料を使わない農法について解説されているのを横で聴いていて感嘆してしまった。野元氏は実際に苗を持参し、鋤で地面を掘り起こしながらK女史にいろいろ説明しているのだが、その例えの巧みさとユーモアには唸ってしまった。まあ、教わっているK女史も、これほど愛嬌のある"いい人"は滅多にいないという好人物なだけに、野元氏も一層張り切られたのだろうが、何事かを分かりやすく人に教え、人をその気にさせるという教育の原点をそこに見た気がした。この野元氏の説得力の一番の根源は、まったく押し付けがましさがない事であろう。そして、芯から自分は阿呆な人間と思い、ただ楽しいからそれをやっている、という事だろう。
 教育者が自らを阿呆な人間だと本心思うという事は至難なことだと思うが、自らを阿呆な人間だと思い、そして実は決して阿呆ではなく、その例えの出し方、注の添え方が実に適切という人間は、やはり稀(特に現代では非常に稀)であろう。とにかく教育で最も重要なことは、押し付けがましくない事だ、という事を、野元氏を見ていて本当に納得がいった。
 このような、「自分は阿呆で(実は賢い)、およそ先生なんかには向いていない」と思っているような人が、小学生を教えることが出来れば(このような人は、ただ一緒に仕事を楽しくやると考えるだけだろうが)、ずいぶん救われる子供も親も出ると思う。しかし、頭の硬い人が最も多い教育界では「木に縁って魚を求める」ような話かもしれない。それにしても、現代にこのような人が、まだ存在している事を実感できたのは幸いだった。
 野元氏は、天性の野生児、自由人の雰囲気なので、よほど世慣れた人でもその本職を当てるのは難しいらしく、いままで仕事を当てられた事がないそうだが、本職は郵便に関する仕事で、さまざまなクレーム処理などもこなしているとの事である。このような人に陽が当たり、教育の建て直しに一役も二役もかってもらいたいものだが…。
 以前、『生協の白石さん』という本が話題になったが、『郵便局の野元さん』という本を私が書きたいくらいである。そのうち、断片なりとも野元氏の語録でも発表したいと思う。ただ、あの表情と九州弁の語り口は活字ではなかなか伝わらないだろう。
 とにかく、随感録でこの事を書きたい書きたいと思いつつ、山積みする用件に流されて4日も5日も経ってしまった。明日から新潟、翌日は佐渡。佐渡では久しぶりにK氏とも会う。そして、次の週末は金沢。ただ金沢の前日の夜18:30から8年ぶりで福井県吉田郡永平寺町で講習会を行います。御関心のある方は世話人の畠中広樹氏(tagayasuhatake@gmail.com fax0778-65-2977)にお問い合わせ下さい。

以上1日分/掲載日 平成21年6月20日(土)


2009年6月23日(火)

 何だか、いままでになく濃い日々が続く。もちろん、それは忙しいのだが、"忙しい"というより日々が濃厚という感じがする。つまり、いくつもの、かなり大きな企画が進行しているなかで、技に対する気づきもあり、その気づきも、それをそのまま言葉にしたら、「この人はちょっとどこかが狂っているんじゃないか」と社会的信用をなくしてしまうような非論理的なもので、直に技を体験してもらっている人に話すぶんには、技の感触が普通ではないらしいから納得してもらえるが、その時私がしゃべっている言葉をそのままテープ起こしして活字などにはとても出来ない。
 「合理的に説明出来る技は、相手も対策を立てやすいものですが、説明が矛盾しているものには相手も対策を立てるのが大変なのです。『敵をだますには、まず味方から』という言葉がありますが、私自身なぜこうなるのか分からないという動きは、技としても有効なのでしょう」などと話して、まあまあ、その場はまとめているが、私の中にあるさらなる狂気が「もっとブッ飛んだ、もっと解放された考えでないとダメだ」と、私自身を責めたてるから、これからどういう方向に進むのか、まったく予想がつかない。
 こうした技の展開は、20日の新潟での講習会(というより、その後の延々5時間以上に及んだ打ち上げの席)で、かなりあり、そのため翌日の佐渡の講習会では、高校生のスポーツ部員が多かったせいか、「君達が勉強やスポーツをする一番の意味は、馬鹿な大人に対抗するための武器なのだ」と、かなり過激に火をつけてしまった。(私を呼んで下さった教育委員会の方々を、だいぶハラハラさせてしまったのではないかと思ったが、私の内側の狂気が活発な火山活動のようになってきているのでどうしようもなかった)
 この日は、その後、桑田真澄氏らと合流。桑田氏の講演を聞く。桑田氏とは個人的には100時間以上も話していると思うが、講演を聞くのは初めてで、その話の面白さに思わず引き込まれた。それは何よりも桑田氏がアップダウンの連続という類稀な人生のシナリオの持ち主だからだろう。そして、講演会の打ち上げの席や、翌日の午前中、佐渡国分寺などを一緒にまわった時、久しぶりにいろいろと話す事も出来た。(桑田氏は現在、早稲田の大学院で想像以上に大変な勉学主体の日々を送っているらしい)
 佐渡から帰って、すぐ本日は今週末の北陸2ヶ所(福井金沢)とその後の広島の福山での講習会のための荷物づくり。明日、明後日は、それぞれ別件の対談。その間にもやらねばならない事は無数にあるから忙しいのだが、もう忙しいというより、何か渦の中で溺れないように懸命に泳いでいる感じである。
 そして、来週7月3日は朝日カルチャーセンター新宿で講座翌4日は九州で桜井章一雀鬼会会長との公開トーク。これには思いがけないゲストの参加もありそうで、さぞ濃いイベントとなることだろう。翌5日は大分で講習会。2箇所に寄って帰るので、帰宅は8日になるかも知れない。その後は、すぐに9日は音楽家対象の公開講座10日は池袋コミュニティカレッジで講座。この池袋の講座は、一番古くから一番定期的にやっている私の講座だが、特色の一つは、私の著作は20種類以上、他に類を見ないほど揃えて即売していることである。翌11日は、よみうり神戸文化センターで講座翌12日は大阪で講習会等々…。いくつかは、まだ余裕があると思いますので、御関心のある方は、お問い合わせ下さい。

以上1日分/掲載日 平成21年6月23日(火)


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