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ARAI FORUM 2000
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2000年4月2日(日) 3月30日から今日4月2日まで、前記の゛アライ・フォーラム゛で新潟県の新井市へ行ってくる。この4日間に起ったことの多彩さは、いままでの私の人生で、4日と日を限れば、まったく初めての体験だった。「その感想は、とても一言や二言では言い尽くせない」という表現はよく使われるが、この表現を、この4日間ほど文字通り実感したことはなかた。 g単純に「行って良かったのか、悪かったのか」と言われたら、それは「行って良かった」と断言できる。とにかく唖然呆然とするほどの思い。「ウワァーッ、辛いなあ」という、身を切られる感想もかつてないほどの回数でおこったが、「幸せの数ほど不幸はある」という言葉通り「なるほど」「さすがに」「すごいなあ」という感動や楽しさもその種類と回数においてかつてないほど体験させていただいた。 それに生まれて初めて履いたスキーで、最初はひっくり返ったゴキブリ状態。100メートル行くのに20回ぐらいも転んだが、3キロほどのコースを2度目に下った時は200〜300メートルはなんとか一気に行けるようになり、スキーが人気がある理由もわかった気がした。 しかし、今回のフォーラムで何よりも驚いたことは、偶然というにはあまりに出来過ぎな小説のような展開があったことである。 それも大小いくつかあったのだが最大の出来事は、このフォーラムに参加する私の同伴者として誘った大阪の精神科医・名越康文氏と私が乗る東京駅発の上越新幹線の出発時刻と、大阪から上京してきた名越氏が東京駅に到着する時間との間が小1時間あったため、私は常日頃、名越氏に会いたがっている数氏と共に名越氏を東京駅に出迎え、僅かな時間であったが駅ビル内で昼食をとりながら話したことから始まっている。 この数氏のなかに、私が昨年、養老孟司先生との共著『自分の頭と身体で考える』(PHP研究所)を出すために、3月に行なった対談の際にアドバイザーとして来てもらった岩渕輝氏が含まれていた。岩渕氏は、中島章夫氏との共著『縁の森』(合気ニュース)のはじめでも紹介したような稀有な人物であるが、この岩渕氏がこの時、「私がいままで科学の分野において話をして『ああ、この人には本当に話が通る』と実感できたことは数回もなかったのですが、そのきわめて僅かな例のうちの1人が神戸大学の郡司さんだったんです」という話をなぜか名越氏と私とにもらしたのである。 そして、フォーラムの最終日の4月1日の夜、フォーラムを通して最大の波乱があったのだが、この波乱の直接のキッカケを作ったのがこのフォーラムの参加者ではない(翌日から始まる養老先生を中心としたシンポジウムのために来ていた)郡司氏その人だったのである。ただ、そのお陰で養老先生や植島先生とも掘り下げた話が出来たし、郡司氏のこともかなり知ることができた。 郡司氏に関していえば、科学者のなかで生死という問題をいつも断崖の上や火事場に置いて考えているような、なんというか宗教者のような人がいた、ということが驚きだった。なるほど岩渕氏と合ったわけだとあらためて納得がいった。 この件に関して、また他のさまざまな出会いや出来事に対して、ある程度でもその経過や感想を書き続けていたら本1冊書いても足りないほどあるので、今回は6人の方に限り、思いつくままに箇条書き的に短く感想を述べてゆくだけにとどめる。 @…養老孟司先生の存在のかけがえのなさを改めて感じた。 今回出会った郡司氏や岩渕氏のような本当に真剣に本質を考える故にシステム化された研究機構には乗りにくい若手(もう40歳になろうという人を若手とは呼びにくいが、これは自分が抱いている疑問に対して純粋さを失わず先鋭的である、ということを゛若い゛と見れば、ということであり、裏を返せば、こういう人が若手と感じられるほど現代の日本では20代の文字通りの若手のなかに、郡司氏や岩渕氏のような飼い慣らされていない人物が、少なくとも私の知る限りいないということである)と話をして、信頼を失わせない力量のある長老として養老先生はまさに稀有な存在だということである。 A…植島啓司先生の気くばりとやさしさをつくづく感じた。 攻撃性が普通の人の100倍あると以前述懐されたことがあるが、そのことを常に感じておられるからであろうか。私のスキーの本当の滑りはじめから、プロスキーヤーの斉木隆氏と共についていて下さったが、こんなにも超初心者の私に付き合われていたら御自身スキーを楽しむことも出来ないだろうに、と申し訳なく思った。しかし、幼児を辛抱強くあやすような気遣いは終始変らず、そのことでかえって御自身のなかにあった、いや、今もきっとあるであろう鬼気との棲み分けにどれほど大変な思いをされてきたかを感じさせられた。 B…神津十月さんの聡明さとセンスのよさに感嘆した。 2日目の夜、フォーラムが終ってから名越氏と神津さんの同伴者のSさんらで、2時間ほど名越氏の体験談を中心に話しをしたが、神津さんの名越氏に対する分析の鋭さには名越氏も驚嘆。「神津さんと会って話ができただけで、僕はここに来た甲斐がありました」とは名越氏の弁。 自己愛の過剰な匂いなどまったくなく、といって引き過ぎず、ごく自然に場を盛り上げる流れを作っていく才能は見事としか言いようがない。話をしていてこれほど心地よい聴き手というのはちょっと他に思い浮かばないほど。 C…石田瑞穂先生には地球の陸と海の成り立ちの、ごく基本的なことを教えていただいた。年上の方をこのように申し上げるのは失礼だが、゛可愛らしい゛という雰囲気を漂わせられていて、最後に地震研究についても本音を話され好感が持てた。 D…池田清彦先生は、養老先生とお話しているとよくお名前が出てくる方だったが、さすがにその物の見方には何度か感嘆させられた。お話したいと思いつつ、他にあまりにもいろいろあって、御挨拶した程度でその機会が得られず残念だった。 E…米原万里女史とも二言、三言お話しただけで、会期中にいつかはいつかはと思いつつ、その機会がなく残念だった。御縁があればまたお会いしたいと思っている。 ……まだまだ書きたいことは山ほどあるが、ひとまずこの辺にしておきたい。 以上1日分/掲載日 平成12年4月4日(火) |
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2000年4月10日(月) このところ、ひどく気が塞いでいる。新井であまりにもいろいろなことがあって、ひとつにはその反動があるのかもしれないが、自分が今後いったい何をしたらいいのだろうということがみえてこない。 もちろん、さしあたって書かねばならない原稿はいろいろあって、昨日も今日もそれを書いてはいるのだが……。 その上、またあの『もののけ姫』を観た頃の落ち込みが襲ってきている気がする。 たとえば昨日、ふとみかけたNHKテレビの『日本・映像の20世紀・北海道(前編)』で、明治や大正の頃の北海道の原生林が次々と伐採され、アイヌの人達がそれまでの自然のなかで採取生活をしてきたことを禁じられ、子供達は強制的に学校で日本語を教え込まれている古いフィルムが放映されていたが、これにはひどく胸が痛んだ。 それに今日は気分転換のつもりで観たNHKテレビの『生きもの地球紀行』で、オーストラリア大陸の小型カンガルー、ワラビーが白人によってもたらされた狐やビンゴや猫といった小型肉食獣によって、ほとんど絶滅の危機に追いやられたことが放映されていて、人間はどこまでもこの地球環境を荒すように運命づけられているのかと、また一層気が重くなってしまった。 そしてワラビー保護のため、外来の肉食獣にオーストラリアの原生種には耐性のある毒餌がまかれている光景を観た時、さらに複雑な思いに駆られた。 名古屋の方の中学校では凄まじい暴力と恐喝が行なわれていたというが、長男の通う中学校の学校崩壊状態も、新任の校長の許で少しは変るかと思っているが、いまのところ相変わらずひどいようだ。 今日も新入生歓迎会が騒ぎまわって妨害する者のためにうまくいかなかったようだ。夜遅くまでいろいろ準備をしていた長男のことを思うと本当に情けなくなる。「父さんまでがっかりしないでよ」という長男の慰めをうけ、どちらが親だかわからないと苦笑いしてしまった。 もっとも冷静に考えれば、これだけ地球環境を荒してきた人間にとって、人間の種の中が乱れてくるというのは当然の報いであり、因果の法則はちゃんと働いているともいえるわけなのだが、情のあるナマ身の人間としては、自分のなかでそのように気づくところがあるだけに、現在の教育の力のなさを単純に嘆くわけにもいかず、辛さはさらに身を絞ってくる。 いろいろなことがみえてくる、わかるということがこんなにも辛いことかと、しみじみ思う。 新井でスキーと格闘していた時でも、ゲレンデを切り拓きリフトを通すことは工場を造るよりはまだましか、と私自身の気持のなかでどこか無理にでも納得させようとしていたことまで思い出してしまった。 しかし生きているということを今すぐやめるわけにはいかない。この上はさらに辛くなろうとも、私がいまこの時に存在しているということの意味を、そのまま直に体で納得するしかないのかもしれない。 それは宗教的課題ともいえるが、もともと私が武術を始めたのは、人間の運命が決っていて同時に自由だという矛盾を、矛盾のまま矛盾なく直感したいためだったのだから。 以上1日分/掲載日 平成12年4月11日(火) |
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2000年4月20日(木) 私が呼吸法に深入りしつつあることに関して、畏友のG氏から電話とFAXをいただく。FAXは『永遠の伴侶 スワミ ブラマーナンダの生涯と教え』(宗教法人 日本ヴェーダンタ協会刊)の次のような一節のコピーであった。 「私たちは呼吸法(プラーナーヤーマ)の練習をしてまいりました。この実習は続けるべきでしょうか」 否!呼吸法の実習そのものが、極度に危険なものである。主の御名をくり返せばそれで十分なのだ。ジャパムと瞑想の実せんによって、呼吸法の実修に伴い易い危険を犯すことなしにクンバカ(注…いきを保つこと。ラージャ・ヨガの一過程)の段階に達するのだ。ジャパムを実行したまえ。そうすれば呼吸はおのずから精妙になり、君たちは自然な方法で生命力(プラーナ)をコントロールすることができるようになるであろう。 ここに述べられているジャパムとはマントラ(特定の神格にとって聖とされる定型の言葉。つまり真言)を特にその意味に心を集中して行う連続的な詠唱を言うようだ。 このFAXを送って下さったG氏は「まあ、危険を承知で挑まれるのでしょうから止めはしませんけど……。それにちゃんと危険だと一般読者に告知されているんですからPL法にも触れませんし(笑)。真似してやってみて体調が悪くなったとしても、それはやった人の責任でしょう」とコメントされていた。 G氏からの電話を受けながら、考えてみれば科学の発達というのも、この呼吸法による身体の開発と同じようなものかもしれないと思った。科学の発達は、現在我々の生活基盤そのものも破壊しかけているが、もはや止めるに止められない。やはり一度開いたパンドラの箱はもう閉じられないのだろうか。 私自身、好むと好まざるとに関わらず、このような時代に生まれ合わせ、現代の環境破壊に深く絶望しながらも、日々ただ生きているだけであっても多くのハイテク機器と無関係に生きてはいられないのである。 だからこそ、より一層絶望感が深まるのだが、そうしたなかで私に出来る数少ないことのひとつが、自分が生きているということの直な体感であり、そのためには技の深化、身体のより精妙な使い方の追求が不可欠なのである。 したがって、インドの聖者の忠告は十分にわかる気はするが、私としては今自分が追求しつつある道を放棄するわけにはいかないのである。 以上1日分/掲載日 平成12年4月21日(金) |
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2000年4月21日(金) 新しい本の企画の相談のため、新橋のT書店へ。 前日、信州大学から数年ぶりに関東の千葉商科大学に赴任された譲原晶子女史から電話をいただいた。譲原女史は科学者の良心を代表するような人物、岩渕輝氏を私に紹介して下さった方。久しぶりに私の稽古会に参加されたいとのこと。思いがけぬ譲原女史からの電話に刺激され、深夜、岩渕輝氏に電話する。話しているうちに岩渕氏に譲原女史も加え3人で本が出来ないかと思いはじめ、ちょうどT書店に行くのでその話もしてみようと考えはじめる。 そして今日、T書店でかねてから親しくお付き合いをさせていただいているN氏とI編集長と3人で、T書店近くの喫茶店で打合せに入る。 話しているうちに、この日のメインの企画の話と、岩渕氏、譲原女史との共著の提案が融合してきて思いがけぬ展開になってきた。 もちろん、その企画が通れば私も願ってもないことなので「なにとぞよろしく」とお願いして、後は都内の稽古会に出向いた。 稽古会は、3週間前に新潟であったアライ・フォーラムで知り合ったSさんが見学にみえ、その後、譲原女史も稽古に参加。 またこの日は、この恵比寿稽古会準常連の紅二点WさんIさんも稽古に参加。華やかな雰囲気となった。WさんIさんは共に感覚が良く、動きがキレるので、彼女らに外されずいなされずに対応できる者は稀。そのため譲原女史もすっかり熱中して体を動かされていた。その様子を見ていて「こんな先生だから学生に人気が出たのも当然だろうな」とつくづく思った。 T書店がだめでも岩渕氏、譲原女史との共著はなんとか実現させたい。 そうでないと、大阪の名越康文氏が岩渕氏を関西に呼びたがって、関西の大学での就職口を探しているらしいから、向こうに連れ去られてしまいかねない。 以上1日分/掲載日 平成12年4月24日(月) |
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2000年4月28日(金) 若葉が爽やかな風にそよぐなか、宮崎駿監督のアトリエ二馬力へ行く。 別に特別な用件があったわけではないが、昨年4月に初めて伺った時から、木立に囲まれた二馬力の佇まいの良さが忘れられず、若葉の季節には是非また伺いたいと思っていたからである。 超多忙でお疲れ気味の宮崎監督とは御挨拶をした程度だったが、スタッフの篠原征子女史にたいへんお心のこもったおもてなしをしていただき、お陰で久しぶりに「心の洗濯をした」というひとときをもてた。 そのお返しというほどでもなかったが、二馬力の暖炉で焚く薪にする原木で、節があって割りにくいため残っていたというものを志願して割らせていただいた。薪割りなどという作業がほとんどの人々にとって日常から遥かに遠くなった今日、子供の頃から必要に迫られて薪を割り続けてきた私は、結果としてこの作業では誰と競っても滅多に引けをとることはない。ちょっとした節のものなら一発で、ひどく木目がもめているものでも数発かましていればなんとかなる。 その私の薪割りの様子を、まるで少女のように歓声をあげ、「これは宮崎さんにみせなければ」と写真にまで撮って下さった(おそらく私と同世代の)篠原女史にのせられて、「もういいです」と止めていただくまで一気に割り続けた。 割り終わってあらためて実感したのは、人間にとっての「生き甲斐の原点」とは、自分の得手とすることが人からも喜ばれるというきわめて素朴な事実である。 「今度また木が入ったら呼んで下さい。枝だったら愛用の鉈持ってきますから」と、次回の薪割りを約して帰途についた。 以上1日分/掲載日 平成12年4月29日(土) |
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2000年4月29日(土) 昨日、二馬力から家に帰ると、中学2年になる長男が「鋲を飲んだかもしれない。どうしよう」と青い顔をしている。聞いてみると学校で先生の手伝いをしていた時、先生が手から落した鋲が開いていた口から喉に一気に飛び込んだような気がする、という。 まったく漫画に出てくるような間の抜けた話で苦笑いしてしまったが、本人はひどく心配そうなので、針類を飲んだ時の処置である繊維質の食物を食べさせることにし、とりあえず三ツ葉を茹でて食べるように指示し、私は何かあればと買物に出て干し芋と無農薬のバナナを買ってきた。バナナはよく洗って皮を細く割いたものを、苦くて嫌がるのを極力食べさせ、あとは口直しに干し芋を一袋食べさせた。 好きな干し芋をたくさん食べ、それだけで元気になったから体の働きも活発化し、鋲を飲んでいたとしてもこれらの食物の繊維が針先に絡んで内臓を傷つけることなく出てくるだろうと、私も安心してそのことは忘れた。 それで今朝は元気に陸上の自主トレに出かけて行ったから問題はないと思う。 まったく生きているということはめまぐるしい。 今日はまた、隣家のI氏が経営するコンピューター会社の事務所の移転で不要となった書類の収容ケースをいただいたので(1週間ほど前にもいくつかいただいた)、これで慢性化していた道場と私の部屋の散らかりになんとか一区切をつけようとしているところ。 買えば数万円はするスチールの書類棚も、捨てるとなればまた相当の費用がかかるそうだ。「貰っていただければ私の方がありがたい」とI氏に言われ、私の方も願ってもないものなので喜んでいただいた。そのため今回はメデタシメデタシとなったが、こういう例は少ないらしく、ほとんどは産業廃棄物となるようだ。あらためて豊かすぎる社会の問題点を考えさせられる。 以上1日分/掲載日 平成12年4月30日(日) |
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